やるべきことに終わりなし

「やるべきことは先にやってから!」と
子供を含めた他人に
きつくいう人は多いです。

が、自分はどうなのでしょうか?

お母さんは、いつもやるべきことを全てきちんと
やり終えてるんでしょうか?

お母さんのやるべきことって
終わりがあるのでしたか?

 

やることやってからね!

 

「やることやってからね!」という決まり文句ですが
やるべきこと、っていうのは
誰が何のために決めた「やるべきこと」ですか。

買い物に行きました、
料理しました、
あっというまにみんなが食べつくしました、

「お母さん、やることやってから(皿洗ってから)じゃないと
テレビの前に座ったらダメだよ!」と

この場面で言われたら
お母さんはどう、感じますか?

小学生が、重たいランドセルを背負って
一日、学校で、あれやれ、これやれ、ああしろ、こうしろ、
ルールに従ってから
帰ってきました。

暑くて背中は汗でビショビショ。
やっとおうちに着いた。
お母さんがいた!

「ほら!ランドセルそこに置かない!」
「ほら!手を洗いなさい!」
「ほら!連絡帳出して!」
「ほら!やることやってからじゃないとおやつあげないよ!」
「ほら!やること終わらないと遊びに行けないよ」
「ほら!もう習い事の時間だ!練習したの!?」

ほぼ、これはいじめに近いですね。

でも、実際、外来でお母さんに
「こんな風にするのがちゃんとした子育てだ、
こんな風にちゃんとさせるのが親の役目だとか
思ってませんか?
これ、無理でしょ?」

何度も、話してきたことです。

 

自分が言われて無理なことを
どうして、人に、しかも子供とか
弱い人に、言うのか?といえば
自分が不安だから、ではないでしょうか?

 

やることをやらないと、楽したらいけない

 

この言葉の歴史を時間があったら
私は調べてみたいな、と思っています。

それほど、この言葉は
私たちの心に刻み込まれているように
思います。

私はこの言葉はもう、響かなくなりましたので
目の前にきたことを、淡々とやり
疲れたら一旦休み
やりたいことがどうしてもあれば
他のことは置いてまずやりたいことを、やります。

 

私が同じくらいの子育てをしている従姉妹に
話したことです。

気心知れた人にはざっくばらんに本当のことを話します。

「あのさ、やることやってから、って言ってたら
多分、何も自分のことはできないまま死ぬよ。w

やること、いつ、終わんの?
って言うか、やること終わった頃には
どうせあっちこちが痛い、痛い、とかいい出して

やりたいことあったけど、もうかったるいや、とか言ってて
で、結局、
やること終わった頃には、何もしたくもなくなっててさ。

だから、今、やること(子育てとかも)終わってなくても
できる範囲で、やりたいことやっていかないと。

しかもさ、すでに大人であとはもう
したいようにすればいいのに、
やりたいことするのに
”成果”とか求めちゃって、どんだけ欲張りなんだ!って
思うよね!
まだ、”成果”を得ようとしてさ。

やりたいから、やる、でいいのに
”成果”とか、”やる意味”とか、あるの?!って言って

絶対いつまでたってもやらないんだよね。w

多分、このまま逝っちゃうよ」

従姉妹は大笑いして
「その通りだね!」と言ってました。

 

外来の40歳前のお母さんに話したこと。

「子供が言うことを聞かないからイライラするし
旦那は言わないと何もできないから、ほんとムカつく、って言うけど

今、自分が子供たちにガミガミ
あれやれ、これやれ、っていえば言うほど

あなたが一番ムカついてる旦那と同じ
言わないと何も気がつかないし、何もできない人間が
育つのではないですか

これも、患者さんのママは
爆笑して、泣いていました。

「ほんと、その通りですね!やばい!
先生に今日、あえてよかった、危なかった!
私、もう、やめるわ、子供にガミガミいい過ぎるの。」

全て、他人に言い過ぎることや
自分に好きなことをさせない言霊は

「やることやってからじゃないと、楽したらいけない」

です。

やること、ってなんでしょう?
やることって、いつになると終わる、予定ですか?
完璧に、それは終わり、があるのですか?

自分でやることは、ここでおしまい、と決めることはできますか?

一つ、やることが終わればそれでおしまい、にできますか?

やること、って永遠に増殖して、増えてはいませんか?

 

やることなんて、終わらない

 

やることが終わる時、は
寿命が終わる時、ですね。

それまで、私たちは
やることは、沢山ありますから
やること終わるまで待ってたら
自分がしたいことや、
やり終わったらそうなると思っていた楽になるだろう、と
信じていたことは
味わうことはできずに終わります。

それでいい、と思うのなら
やることが終わるまで、やることをやればいいですし

それが嫌、だと思うのなら
やることは終わらなくても
自分がやりたいことを先にできる範囲でする、代わりに
他人にも「やることなんて後でもできるんだから」と
許すことが可能なはずです。

私は、お互い様、というのは
こういうところで使う言葉なように思います。

外でそれぞれが他人の目を気にしたりしながら
頑張って一日を終えて
帰ってきた家庭までが

「やること終わらないとだめ!」

これだと、いつ、人は安心して休息をし
心や体を癒すことができるのか
わかりません。

家庭では「お疲れ様」「今日も頑張ったね」「お互い様だもんね」
そういう言葉や雰囲気があることで
人はくつろいだり、休んだり、安心したりして
明日へ向けての英気が養えるのではないでしょうか。

 

他人に「やることやってから!」を叫ぶ人は
自分にも常に「私、やることちゃんとできてる?終わってる?」と
監視を続けています。

やることが終わることは生きてる限りないのだ、という
事実にまず、びっくりしながら気がつくことから
いろんなことが今から始めることが可能なのでは?と
思います。

「あ、やりたいこと先やろう!」と自分のことをやるからこそ
人は、活気が出てきて、生きてる実感を感じることができ

その結果、人の役に立っていたり
人にも優しくできたり
人にも何かをすることを許すこともできるのではないでしょうか。

 

自分勝手について

 

このようにやりたいことを先にやってもいい、と言う話をすると
必ず出てくるのが

「そういうのは自分勝手だ!」という声です。

私が思うのは

自分勝手というのは
他人の持ち物を奪ったり、他人をわかっていて傷つけたりして
自分が得たいものを得て、喜んでいること、では
ないでしょうか。

一方で、他人の持ち物を奪ったりせずに
わざと他人を傷つける目的ではなく
(他人を一切傷つけずに迷惑をかけずに生きている人はいない)
自分ができる範囲でしたいことをする、のは
「自分らしく生きている」だけであり

こういうのを「自分勝手だ!」と騒ぐなら

「じゃあ、自分がしたいことはしたらいけない!
我々って何かに囚われている身なんでしたっけ!?」という風に
なりますね。

 

実際、鍵のついてない檻の中に
自分を閉じ込め
檻の外で自分がやりたいことをしている人のことを
檻の中の仲間同士で「自分勝手だよね、信じらんない!」と
批判したり噂したりして、一生を終える人もいます。

 

どんな生き方を自分がしたいのか?は

自分の責任で決めることであり
どれをしたから幸せ、
どれをしなかったら不幸、でもない、と思います。

大事なことは
やることを一生懸命にやっている自分に納得すること、であり
やることをやってない他人を批判しないこと、だと
思います。 

やることは生きてる限り、終わりません。
やりたいことができるようになるためには
一つ、勇気を出してみることだと思います。



*************************
内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

女医とも子物語

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です