「ずるい!」からは何も生まれない

「ずるい!私の時はそうじゃなかったのに!」
娘が、弟に対する私の対応を見てて
そう、言いました。

「ずるい!」っていう言葉からは
何も生まれないことを、娘に説明したので
今日は、それを書いてみたいと思います。

 

平等はない

 

私には3人の子供が男女います。
3人とも、全く性格も違えば、得手不得手も違います。
欲しいものも、やりたいことも違います。
食べたいものも、毎回違います。

そんな3人がなるべく、そのまま育つように
私も、工夫をしながら生活をしています。

でも、そんな中で起こるのが
「〜君は、それでいい、って言って!
どうして私はダメだったの!ずるい!」

みたいなことが、やっぱり起こるのです。

「ずるい!」って言う言葉は
私は大嫌いです。

ずるい、と言うためには
みんなが、同じで平等だ、
同じように自分にも与えられて当然だ
という前提が必要です。

兄弟の間でもそうですが
大きな社会に出た時に
みんなが、同じで平等だ、
同じように自分にも与えられて当然だ、

そんなはずがないのです。

夫婦の間でも、家事の分担を平等にするために
家事をする以上に
平等にすることに
エネルギーを消耗していたりするケースも
たくさん、ありふれていませんか?

仕事でもそうです。
平等、なんてありません。
医者の世界なんて、男女平等、とは
私は感じませんでした。

当然ですが、男女は違います。

兄弟であれば、年齢も性別も違うのだから
それぞれが違って当然です。
親が子供を全て同じに扱って、
なんでも同じに与えよう、としたら
それは子供それぞれの持ち味すら
均等化してしまい、
結果、窮屈な思いをさせたり
自由に自分がしたいことを選べない
のではないでしょうか?

 

平等ではないからこそ、
選べる自由があるのだ、ということを
娘には具体例を挙げて説明しました。

「あなたは好きな洋服を弟や兄よりも
たくさん、持っているよね」
「あなたはしたい習い事の送迎を
一番多く、お母さんにしてもらってるよね」
「あなたは受けてみたいオーディションを受けるために
一日がかりでお母さんを独占して、他の兄弟は
その間、待っててくれているよね」
「食べたい、というものを、いつも作ってもらえてるよね」

「そうやって、自分が選べてることを
まずは忘れないこと」

「そして、ずるいから、やったらダメ!を
他の人に言うって言うことは
ずるい!(本当は私もやりたい!)っていうことを
自分にも禁止することになるからね」

「兄弟は、それぞれに違って普通で
羨ましがったり、妬んだりすると
あなたが、結局幸せになれないからね」

「結果、それは他の人との人間関係でも
それが出るからね」

10歳の娘なら、もう、
これらの説明で十分、理解した、と思います。
内心、不満は残ったでしょうけれど
でも、大事なことです。

平等なんて世の中のどこにも
ありはしません。

 

みんなが、同じで平等だ、
同じように自分にも与えられて当然なのに
私には、それが与えられてない!
ずるい!

と、いくら声高に叫んだところで
「じゃあ、あなたはどうしたいの?」に対する
自分の答えを素直に言うことができなければ

「ずるい!」「ずるい!」と叫んでいるだけで
今から、これから、
何かが良い方向に変わることもありません。

 

平等ではないところで
「じゃあ、どうしたら自分がしたい方向に
持っていけるだろうか?」
「私は素直に一体、どうしたいのだろうか?」
「羨ましいだけで、自分は本当にそれをしたいのだろうか?」

そう言うことを、
きちんと考えて、言葉に出せること
大事なことだ、と思います。

そして、自分が選べているのだから、
他人にも選ぶことを許せるようになると
それぞれが平等ではなくても
それぞれが納得できる日々を歩めるのではないでしょうか。

 

お互い様、と言うのは
平等の中で生まれるものではない、と
私は思います。

平等ではない中で、自分も選ぶ、他人も選ぶ、
お互い様だよね、
そういう関係が、譲り合いなのではないのかな、と
思います。

声高に、平等を叫び
「ずるい!」を言ってても
誰も幸せにはならない、と思いませんか?

 

過去のことばかり持ち出す人

 

娘もそうですが
「あの時は、ああだったのに!」
「前は、こう言う風に言ったのに!」

みたいに、過去のことをいつまでも言って
根に持っていると
ろくなことになりません。

前はそうだったけど、
今はどうしたいのか?
これからはどうしたいのか?

そっちの方が大事なことです。

いつまでも、
「ああ言った、こう言ったくせに!」

そんなことを言っている人は
永遠に、過去の牢獄から出てくることは
できないでしょう。

牢獄の中から
「ずるいよね、ああだったくせに」と
せいぜい、他人を妬み恨むくらいしか
できないのでしょう。

娘には、そういう風になって欲しくありません。
って、10分も経てば、こんな話をしていたことすら
忘れて、
好きなことをして、過ごしてますから、
私の方が、しつこいですね、ブログにして!W

でも、大事なことは子供にその都度話すことで
積み重ねが、いつか
大人になった時に「ああ、これかな」と気がつく時が
くるのかもしれないし
とても困った時に、思い出すのかもしれません。

いずれにせよ
この世の中に、どこにも平等はありません。
平等ではない中で、子供たちにも
自分らしく、譲り合いながら
生きていって欲しいな、と思います。



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内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

女医とも子物語

1 個のコメント

  • ずるいって思ってそれを正当化してました。
    人それぞれなのに同じ対応、気持ちを持とめるのは、変でさよね。

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