足りてもいないうちから足るを知るは、無理です。

足るを知る

素敵な言葉ですね。

欲張ってない感じ。
執着が少ない感じ。

そして、地に足がついているような
そんな人柄がうかがえます。

けれども
「私、足りた」って感覚もないのに
「足るを知る」なんて無理です。

「足りてる」とわかったから
「もう、いっぱいだわ」とわかったから
「これで、満足だわ」と知ったから

そこで初めて
「私に必要なボリュームは、ここです」と
わかるわけですよね。

 

足るを知ろうとしてもできません

 

十分にやり切ってもいないうちから
足るを知ろうとしても
無理です。

例えば子供のゲーム。

時間を決めてやるのが、
常識的な考え方のようです。

目が悪くなる。
頭が悪くなる。
コミュニケーション能力が下がる。
時間を大事にしなくなる。

ゲームの害はたくさん、
情報がありますから、
それももっともなのかもしれないな、と
思います。

が、私は
「足るを知る」を子供がゲームについて
知るためには

「好きなだけやってみたらいい」と思っています。

なので、時間も決めてなければ
何も言いません。

結果、私が不在の時に
一日中、ゲームをした結果
頭痛と眼痛で
ひどい目に合っていました。

そこで初めて子供は

「ああ、一日中ゲームをやるとひどい目に合うな」と
身を以て学び、
この先、一日中ゲームをすることは
なくなるでしょう。

けれども
一日中、好きなだけゲームをしたいのに
親に厳しく言われてしたことがない子供は
永遠に
「ゲームをもっとやりたい」と
足らない気持ちでいっぱいでしょう。

足らない気持ちのまま
「足るを知りなさい」と言われても
無理なのです。

ですから親の目を盗んで隠れてやりたいことをやったり
本当はやりたいことを親には言えなかったり

大人になってもその癖は抜けずに

「なんちゃって足るを知る」を実践するあまり
いつもモヤモヤ
やり切った感じがわからない、
集中して没頭できない
結果が怖い
自分の限界がわからない
行くところまで、行くのが怖い

そうなるのではないでしょうか。

 

限界を知る

 

「人に迷惑をかけたらいけない」

そう言われ続けて育った人は
「どんなときも人に迷惑をかけない」ことが
最優先事項になります。

人に迷惑をかけない人はいないのに
「私は人に迷惑をかけないように生きてきました」と
言い切るのです。

けど
それだと、とても生きづらくなってくるのも本当です。

なぜなら、人に迷惑をかけない=人に甘えたらいけない

となるからです。

 

人に甘えられないと
年々、ギスギスして、孤独感は増していきます。

人に甘える、依頼する、お願いするという行為は
相手に対する信頼であったり
借りを作って自分の弱みを相手に握らせたりして

そういうやり取りは、人間関係において
とても大事な潤滑油だ、と
思っています。

 

けど「人に迷惑をかけたらいけない」と頑張ってきた人は

どれくらいのことだったら人に迷惑じゃないのか?
どれくらいのことだったら、お願いしてもいいのか?

それもわからないのです。

全く迷惑をかけないように
用心深く、暮らしています。

が、絶対に迷惑はどこかでかけています。

 

このようなケースにおいても
「思いっきり迷惑をかけてしまった」大失敗によって

「ああ、私、迷惑かけちゃった。
でも、相手はそれを嫌がらずに、対処してくれた。
私、恵まれてたんだな」などと

知ることができるのですよね。

そして
「迷惑はかけてもいいんだ」というか
「迷惑をかけずにいきられない」と
知ることによって

「私はなるべく迷惑はかけたくないけど
最悪、どの辺りまでは迷惑がかかってしまっても
オッケーとしよう」という

足るを知ることができるのだ、と
思うのです。

 

何事も自分の振り幅を知る

 

足るを知るためには
自分の物差しが必要になります。

それは誰かの正論だったり
誰かの基準によってではなく

自分の物差しを知ることにより
「足るを知る」ことで満足がいくのだと
思うからです。

 

他人の物差しによっていくら
「あなた、足るを知りなさい」と言われても

「それ、あなたの足るでしょ?私はまだ、足らないの」と
言うことができるのです。

欲深いことがいけないことだ、と
私は思いません。

自分の欲に忠実に
それを叶えるべく、自らが努力することは
その人らしく生きるためには

必要なことだ、と思います。

 

自分の欲を知る。
自分の本心を知る。
自分の欲求を知る。

そして、さらに

「どこまでいけば私は満足するのか?」を
一度は付き合ってあげて
そこまで自分を連れて行ってあげることだ、と。

連れて行ってあげて「ちょっとやりすぎかな」と思えば
そこよりは、もう少し手前に戻ってきて
そこが自分の着地点にしたらいいですね。

 

一度も失敗も、恥ずかしい思いもなく

「足るを知る」を実践しています。

と言うのは
なんとなく、しらじらしいことだな、と
私は思います。

綺麗に生きるための
「足るを知る」なんてクソくらえです。

自分自身が、自らの物差しで測った地点に
着地し、
そこに足をつけて暮らすこと。

そのための「足るを知る」を
私は目指したいな、と思っています。



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