シンプルな健康法

様々な患者さんを診たり、
様々な方の健康法を読んだりしているうちに、
疑問にずっと思っていたことは

「どうしてある人にとっては健康に良いのに
ある人にとってはそれが有効ではないのだろう?」

ということでした。

例えば、肉を毎日食べている90歳代の方もいれば
肉は体に悪い、と言って食べずにいても病気になる方もおられる。

同じもの、同じ情報、
一体、どうして差が出るのだろう?と
ずっと疑問に思ってきました。

今日は、その答えについての
私の現時点での見解を書いてみようと思います。

 

何をするか?は重要ではないのかもしれない

 

健康になるための情報は溢れています。
そして、多くの人が健康になるために
様々な情報を頼り、それを実行しては
「違う」とまた次の健康法を試し
「これも違う」とまた次の健康法を試す。

もしかしたら、誰かが人を右往左往させて混乱させ、
不安や恐れに陥らせるために

様々な情報を流しているのかな?とも
私は眺めていて思うようになりました。

それほど、健康法とか、ダイエット法とか
〜法という名前の情報が溢れかえっています。
選べるはずがないですね。

右往左往する、ということは
とても不安なことです。
そして、右往左往する、ということは
誰かの何かの意図に流され
そこに「自分の意図」は組み込まれていないのです。

よって、芯(自分の本当の意図)がない状態で
あれも、これも、良さそうなことを
試していなければならない。
さもなければ自分は今よりさらに
不健康に、不幸に、そして死に至るにちがいない!と

自分自身に暗示をかけ続け
実際に、そのようにもなっていくのです。

私は、そう、感じます。

大事なことは、
様々な健康法をあれこれ試して
自分に合うものを探し求めて迷子になり
結局疲れ果てて倒れることではありません。

大事なことは、
「自分はこうなりたいのだ」
「自分はこれで今より健康になるのだ」と
意図を持つこと
そして、それを信じてその気になり
自分のことに責任を持つことだ、と
思います。

 

自分はどうしたいのか?

 

自分はどうしたいのか?については
自分以外に専門家はいません。

そこを勘違いして、
健康の専門家を探し求め
もっと有効な情報を持っていそうな人を探し求め
もっともっと良い方法があるはずだ!と
新しい聞いたことがないものを探す。

自分の人生の専門家は

自分です。

そこを「私は専門じゃないから健康のことはわかりません」
「私は専門じゃないからお金のことはわかりません」
「私は専門じゃないから栄養のことはわかりません」
「私は専門じゃないから何をしたらいいのかわかりません」

永遠に、いつまでたっても
自分の人生に、自分の生き方に、責任を持とうとしないのです。

大事なことは
自分の専門家は自分であり
自分の体調がどうか?を感じることができるのも自分。
何をしたら心地良いのか?を感じることができるのも自分。
どういう人と一緒にいたら、リラックスできるのか?知っているのも自分。
何をいま、食べたいのか?感じて決めることができるのも自分。

専門知識なんて不要なのに
専門じゃないから、と言って自分のことを誰かに、何かに
明け渡しているのは、誰なのでしょうか?

自分のことを、自分以外の人に、ものに、明け渡した時点で
健康に今よりなることは不可能でしょう。

大事なことは
何をするか?ではなく
どういう意図でそれを選び、それを実行するのか?だけです。

例えば、今より楽になりたいから
アロマオイルを取り入れた生活をして
楽になるのだ、と決めることです。
そして、一生懸命、日々の生活を観察し
今の自分を感じて、欲しているものを自分に提供し
その結果を引き受けることです。

アロマオイルをやってるのになんか違う気がする、と
すぐに、数ヶ月で目移りするのは
自分に対して責任をとっていません。

アロマで楽になるのだ、と決めたのなら
楽になるまでよそ見をせずに
腰を据えて試行錯誤すればいい
のです。

そうやって、腰を据えて自分と向き合い、自分のお世話をしていて
今より辛くなる、悪くなるはずがないのです。

自分のお世話をするのは
早く結果を出すために焦ったり
なかなか結果が出ない!と不安になったり
自分の悪いところを裁き、いじめ、ダメだしをする、こととは
正反対です。

自分の悪いところも自分の一部として仲間に入れてあげ
「これまでよくやってきたね」と慰め
暖かく見守って待ってやることです。
結果が出るまでの間の時間すら、自分自身との対話の時間なのです。
そうしている時間が愛おしくなり、
もう、結果なんてどうでもよくなった頃

自分が思うよりも良い結果が出ていることは
よくあることです。

健康になるために
自分の悪いところを裁き、いじめ、ダメだしをして
「ほら、だから私の体はこんな風になってるんだ」と
やり続けている人が多いように感じます。
やることは、逆なのです。

ちょっとやってはやっぱり、違う
ちょっと通っては、やっぱりダメだ、
ちょっとやっては、すぐに他のものに頼ろうとし
ちょっと不安になると、誰かの意見を聞きたがり
ちょっと怖くなると、これで合っているのか?を
答え合わせしようとする、

これでは、いつまでたっても自分の人生を
自分で請け負うことは不可能です。

 

世の中の情報の捉え方

 

携帯電話やネットが普及し
安易に、たくさんの情報に触れることができるようになりました。

が、そのせいで
他人をコントロールしたい人が
実際に簡単に他人をコントロールして
自分の利益にすることも
とても簡単にできるようになった、とも言えます。

どんな情報が自分に必要なのか?を
見極める能力を磨いていかなければ
今、この場で信じている情報だって本当はどうなのか?
わかりませんものね。

私がこうして、書いているブログだって
あくまで私の意見であり
「正しい」「間違っている」でないのですから。
そして、常に一貫性を持って変化がない意見でもないのです。

結局、自分の意見は自分なりに持つこと、

そのためには
教わる、習うのではなく
自分で考えるしか、ないのです。
自分で考えていけば、自分なりの人生が創造するとは
誰でも可能です。
自分の人生に、自分以外の専門家は要りません。

さて、情報とどう付き合うのか?ですが

私は、
極端なことを言い切っている情報
読むことにより、相手に恐れや不安を掻き立てるような情報
自分が上に立つために、相手を下げる意図で書いている情報
自分の怒りを放っている情報
人が読んで幸せにならない情報
安易に、これさえやれば幸せになますよ、という情報
ある一つの方向に多くの人を集めようとしている情報

これらの情報は、信用していません。

あくまで、どんな情報も、誰かが考えたものであり
自分が考えたものではありません。
有効だな、と思った情報であっても
それをそのまま鵜呑みにして、自分に取り入れることはありません。

自分の考えと混ぜ合わせ、考察した上で
「あ、こういうことか!」とパズルがはまり納得したものは
今の自分にとって有効だな、と思うものを取り入れています。
ただし、今の自分にとって有効でも1週間後は不要になるかもしれませんし
大したことがない情報は、肥料になって忘れてしまうのですから。

忘れないこと、と言えば
自分自身の内側に問い合わせ
自分自身から答えが出てきたものについては
信用しています。

自分自身の内側から出てきた答えを信用しないからこそ、
自分以外の、誰かの、もっとすごい人の、
専門家の!情報を信用してしまうのす。

何も頼るな、とは言いません。
ただ、今より自分がよく生きたいのならば、
大事なことは何をするか?より
どうしてそれをしたいのか?
それをして自分はどうなる、と決めたのか?
結果が出るまでやり、どんな結果でも引き受けると決め
腰をそこに据えること。

これさえ、やっていたら
いつも多くの人が怯えているような
「このまま転げ落ちて終わるのではないか」という
恐れや不安からは
脱出ができ、今ここで地に足がつくのです。

 



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