自己紹介:私は仮死状態で生きていた。

「女医とも子の本当の健康生活」へブログを移行し

あらためまして、よろしくお願いします。

ブログタイトルにもした通り、「本当の健康生活って?」について

一緒に考えていきましょう。

 

私は自分自身の変化を通じて最大の病気の予防学

「その人の欲求に素直に従い生きること」だという考えに行き着きました。

 

その生き方で生きていると、病気にならないだけではなく、自分自身のことが好きになり

結果今、やっていることに自信を持って打ち込むことができるのです。

さらに、対人関係でも自然体で素の姿でいることができ

会話も作ったものでなく、本音で話すことができるのです。

 

「本音で話してもいいんだ!!」

本音で話しをして、満足感を得るという体験は私にとってはとても貴重でした。

これまで、自分以外の人に「言いたいことを言ったらいけない」と思っていましたし

「相手に合わせて必要とされる言葉を投げかけること」が私のコミュニケーションだったのです。

結果、その場は問題もなく、何事もなく、むしろスムーズに進んでいくのですが

私はいつもどこかで寂しさや、不満、なんで私ばっかりという怒り

どんどん年は取っていくのにまったくうまくいかない焦りでいっぱいでした。

 

でも、周りの人から「私は寂しい、不満、怒ってる、焦ってる」と気がつかれないように、

たくさんの被いで覆ってそれを隠すために

そして、表面を美しく保つために

とてもエネルギーを費やし、とても毎日疲れてイライラもしていました。

 

「私はいったい誰なんだろう?」「誰の人生なんだろう?」そういう問いかけが

頭の中に鳴り響くようになったのです。

 

私が自分自身に問いかけをしていく中で

「本当の自分の欲求」というものがあるのだ、と

気がつきました。

私は「本当の自分の欲求」なんてものはあったらいけないし、

大人はむしろ、自分のことより周りの人のために生きるべきであり

そんな子どもじみた「自分の欲求」なんてむしろない方が良いことだ、と

思い込んでいたようです。

 

「自分の欲求」が初めて聞こえてきたのは、山の中でした。

「私はいったい誰なんだろう?」「誰の人生なんだろう?」

そういう声と向き合うために、私は乳飲み子が乳離れをしてから

早朝に毎日山に散歩に出掛けるようになりました。

それは、もう一度ゼロからやり直したい、もう一度自分の人生を歩くことを考えたい

もう一度私は身体を作り直したい、もう一度自分の舞台に立って人生ゲームに参加したい

そういう思いからでした。取り憑かれたように歩いていました。

 

毎朝山の中を歩くことは、とても新鮮でした。

冬は真っ暗です。真っ暗な山の中をライトの灯りを頼りに歩くと

自然に対する畏敬の念が自然と生じました。

「大きい」「深い」「尊い」そういう気持ちに自然となるのです。

それに比べると「私なんてちっちゃいし、がんばったって叶わないし

だからこそ、素直になってやればいいんだ。」そう、感じるようになったのです。

自然に身を委ねた、ということなのかな、と思います。

自然の中に抱かれて「さあ、やってみよう!やってごらん」と言われているようでした。

 

私は次第に肩の力が抜けていきました。

同時に私の身体もシンプルになりました。

贅肉が取れて心肺機能が上がり体力がつきました。

それまで、どこか軸がなくふらふらとしたいた身体の軸が

毎朝歩くことで、定まってきたのです。

心もシンプルになっていきました。

思ったことは隠さない、感じたことを粗末にしない、心の中のことを「なかったことにしない」。

そうやって自分の感情や気持ち、想いが私にもあるんだ、というところに

気がついてきました。

山の中でリハビリをしていたのですね。

 

さて、「本体の自分の欲求」に気がついたときに「さあどうするんだ!?」となりました。

自分の欲求に従えば、誰かにイヤな思いをさせたり、誰かに私が責められたりするのは

目に見えていたからです。

今のままじゃない、別の世界へ自分が移動することになります。

これまでの人間関係も変わるでしょうし、そうなると私の居場所はどこになるのかな?

そんな不安な気持ちで圧し潰されそうでした。

「変わったよね」と指摘をされること、それはとても怖いことでした。

「もう、仲間じゃないね」と避けられること、これは慣れることはいまだにありません。

 

でも、私はもはや気がついた自分の欲求に従わずに隠して生きること、

その方法で40年間も生きてきて、その世界に戻って

何事もなかったかのように、振る舞って生きることは

できませんでした。

「もう、やるしかない」「逃げたらだめだ」「戦うしかない」

そう、決めました。

 

戦うというのは、自分ともそうですし

「この人はこういう人だ」と決めつける周りの人とも、です。

水の流れに逆らって登るのです。

多くの人が水の流れにただ、漂って下っていく中で

後ろ指を刺されながら、「なにやってんだろうね?」とニヤニヤ言われながら

逆流して登っていくのです。

でも、その人たちは、ただ他人のやっていることを眺めてみて、

それについて言いたいことを言っているだけでした。

まるで、テレビでスポーツを観てああだこうだ、言っているのと

同じでした。

私は、自分がちゃんと競技場に立つために訓練をし、実際に自分がスポーツをするんだ。

そういう気持ちで、川の流れには絶対にのまれまい。

そう、心に決めて動きました。

 

それはとても苦しい時間でした。

これまで川の流れに従ってただ、漂っていたときには

文句もあったけど自分の力をそこに使う必要はありませんでした。

自分で決めて、選んで、やる、それをする必要がありませんでした。

決めてもらったことを、ただ、間違えないようにやるだけでよかったのです。

 

けれども、川の流れに逆流すれば人から見られている気がして

「普通じゃないことをしている」と言われる気がして

場合によっては「ほら、こっちだよ」と足をぎゅっと掴まれて

「また一緒に川下りをしようよ」と実際に連れていかれそうにもなりました。

孤独だな、と思いました。

「味方なんて誰一人として、いないのかもな」

 

でも、どうなのでしょう?

じゃあ、一緒に川下りをしていたときに、本当に私のことを思って

私を尊重して、私を大事にして、私の本心を聞こうとしてくれた人、

そういう味方はいたのでしょうか?

そう考えたときに、人が生きるのはとても孤独であり

すべての自分を100%受入れてくれる人は自分以外にいないんだな、という

「清々しい諦め」をその一番苦しかったときに経験しました。

 

「清々しい諦め」を経験してからは、憑き物が取れたように私は変わりました。

投げやりとも違う「さあ、こっからだよ」という気持ちになりました。

「何が起こっても自分が決めて選んだことに打ち込めばそれでいい」

心からそう、思いました。

以来、私はどんなことが起こっても、自分で考えて決めて打ち込んできました。

 

そうすると不思議なのですが、これまでは

傷つきたくなかったり、バカにされたくなかったり、そういうプライドが

常に頭のどこかにこびりつき、自分の呼吸を浅くし、

自分に新しい経験を味わわせることを避けていたのが

「傷つきたくない」「バカにされたくない」はどうでもいいことだ!

思うようになったのです。

 

むしろ、「自分はこれをまだ知らなかったんだ!」という驚き

「知ってるつもりが、こんなこともまだ知らなかった!知りたい!」という欲求

そちらが、どんどん大きくなってきました。

「知らないことを隠す」のではなく「知りたい」という好奇心が出てきたのです。

そして、それについて一つ一つ学んでいくと、

これまでのあれこれ疑問に思っていたこと、

「なんでわたしが!?」と怒っていたこと

「どうしてあんなことが起こるんだろう?」とガックリしていた出来事、

あるいは、患者さんのお悩みなどがパズルのピースをはめていくように

「わかってきた」のです。

 

「何がわからなくて、どこはわかってきた」が自分でわかってくると

「じゃあ、どうしたらいいか?」も考えられるようになり

結果自分で進路を決定することができます。

決定したことをやっていけば、自分が行方不明で不安になることはなくなります。

 

対人関係でも自然体で言いたいことを言いえるようになりました。

かつての私は例えば、幼稚園などで他のママと話すことができませんでした。

いつも一人で誰とも馴染まないようにして、自分のことを話さなくていいように

予防線を張っていました。

自分のことを人に知られたくありませんでした。

けれども、今は高校生のときのいつも友達を笑わせていた無邪気さが

43歳にして戻ってきました。

「別に隠すこともないや、私はわたしでこれ以上でも以下でもないしね」

それが今の私の気持ちです。

「何モノかに見せないといけない」という縛りがなくなった結果

誰とでもフランクに話せるようになりました。

 

そうなると、「医者」対「患者さん」の対話にも変化が出てきます。

以前は「医者なんだから、失敗が絶対にないように、絶対に患者さんを助けて

あげないとダメなんだ」という緊張感から

会話も硬く、自分がミスしないことだけに集中していました。

「患者さんに、自分の落ち度を指摘されること」が何よりの恐れでした。

 

それが今は自然体で会話をし、そして患者さんご自身の生活にもこれまでの人生にも

興味を持つことができるようになったので

対話の中からヒントがたくさん得られるようになり

「診察室で笑い声が聞こえる」という以前なら考えられないような

そんな雰囲気で診療をしています。

こちらから心を開いて対話をするということが、できるようになりました。

そして、「人それぞれの生き方があっていいのだから」という

自分の人生も「何でもあり」を許したことで

相手の人生もまた「何でもあり」で受入れることに

つながっているのです。

 

私は自分のこの変化。

「自分を出さないようにして、周りに合わせて反応的な生き方」から

「自分の欲求に素直に従い、自分が決めてそれに打ち込む生き方」に変化して

これこそが自分の心身を自然体で活かし、そして

自分の人生を生きる、そしてそれに満足をして喜びを感じられる

結果、自分も人間関係も健康的な状態でいられる

そんな生き方なのではないのかな?と今は、感じています。

 

私はこのブログ、そしてメルマガを通じて

多くの方が自分にカスタマイズされた「健康生活」を手に入れ

一人でも多くの方が自分らしく生き、自分を活かし切ってこれからの日々を

過ごせるようになったら、私もとても嬉しいです。

 

診察室で、いつも患者さんにお話していることや

自分が暮らしの中で大切にしていることなど

これまでの「女医とも子の診察室」に引き続き

書いていこうと思っています。

 

どうぞよろしくお願いします。

 



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また、私自身が生きづらさからどのように
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