女医とも子の理念「自分の欲求に素直に生きる」について

はじめまして。小室と申します。
「女医とも子」という名前でブログを書いています。

どんな人なんだろう?となると思うので、
少し自己紹介をさせていただきます。

私は内科医で外来をしています。
その一方で情報発信をするようになりました。

なぜなら、外来で患者さんに薬を処方しているだけでは
人は本当の意味では健康になったり、
幸せを感じて生きることにつながらないのでは?という
私自身の疑問から

本来の健康的な生活をするためには「医学部で学んだ医学的知識」だけでなく
「人の心の働き」や「人間関係についての悩み」「仕事」
「子育て」「お金」「恋愛」などなど
人々の身近な悩みを解決することも必要なのではないのかなと
感じるようになりました。

私は今、

•言いたいことが素直に言える

•相手の顔色はいっさいうかがう必要がない

•自分のことは嫌いではなく、やや好きである

•他人のせいにせずに済んでいる

•やりたいことは何でもやってみることができる

•疲れない

•イライラしない

•心身が健康だ、と思える

•悩むことはあってもそこに入り込んで出てこられないことがない

•自分がダメなところに気がつくことができ、それを直すために行動ができる

•好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言える

•相手に合わせて選ばず自分が選びたいことを選ぶことができる

•むやみやたらに人に気に入られようとせずにいられる

•休むときは罪悪感を感じることもなくしっかりとダラダラできる

•とにかく楽しい

•楽しい人達に囲まれている

•子どもが可愛くて仕方がない

•どこで何が起こってもどうにかすればいいや、と思える

etc.

これが私の当たり前の毎日です。

ストレスなんてないのでは??そんな毎日なんてあるの??
私もかつては、そんな毎日があるはずがない、と思っていました。

私が何かが優れていたとか、最初からそうだったとかではなく
自分自身を観ていきながら、学び続けて楽に生きている人たちに出会ったりして
上記の状態に今、なっています。

今もまだ、油断をすれば過去の自分に舞い戻りそうになったり
あるいは調子にのって「私はわかっている」と勘違いして
イタい目に合うこともあります。
ですが、すごい人に合うとそういう調子に乗った自分も
吹き飛んでしまいます。w

聖人を目指して何かいませんしむしろ、
人間味のある人になりたいし、そうでいたいです。
だから今もまだ、そうなれるように勉強をしています。

このように書いていますが、私はつい数年前まで
「仮死状態」で生きていました。
自分が何を感じて、何をしたいのか?がまるで
わからないままに、日々の生活に追われ、怒りや悲しみや不安に飲み込まれないように
必死で生きていました。

私は「自分って何なのか?」「私の人生って何だろう?」そういう気持ちを
整理するために、毎朝山を散歩するようになりました。
そんな中で「本当の自分の欲求」というものに気がつくようになりました。

真っ暗な山の中をライトの灯りを頼りに歩くと
自然に対する畏敬の念が自然と生じました。
「大きい」「深い」「尊い」そういう気持ちに自然となるのです。

それに比べると「私なんてちっちゃいし、がんばったって叶わないし
だからこそ、素直になってやればいいんだ。」そう、感じるようになったのです。
自然に身を委ねた、ということなのかな、と思います。

自然の中に抱かれて「さあ、やってみよう!やってごらん」と言われているようでした。

「何が起こっても自分が決めて選んだことに打ち込めばそれでいい」
心からそう、思いました。
以来、私はどんなことが起こっても、自分で考えて決めて打ち込んできました。

そうすると不思議なのですが、これまでは
傷つきたくなかったり、バカにされたくなかったり、そういうプライドが
常に頭のどこかにこびりつき、自分の呼吸を浅くし、
自分に新しい経験を味わわせることを避けていたのが
「傷つきたくない」「バカにされたくない」はどうでもいいことだ!
思うようになったのです。

むしろ、「自分はこれをまだ知らなかったんだ!」という驚き
「知ってるつもりが、こんなこともまだ知らなかった!知りたい!」という欲求
そちらが、どんどん大きくなってきました。

「知らないことを隠す」のではなく「知りたい」という好奇心が出てきたのです。

そして、それについて一つ一つ学んでいくと、
これまでのあれこれ疑問に思っていたこと、
「なんでわたしが!?」と怒っていたこと
「どうしてあんなことが起こるんだろう?」とガックリしていた出来事、
あるいは、患者さんのお悩みなどがパズルのピースをはめていくように
わかってきたのです。

「何がわからなくて、どこはわかってきた」が自分でわかってくると
「じゃあ、どうしたらいいか?」も考えられるようになり
結果自分で進路を決定することができます。

決定したことをやっていけば、自分が行方不明で不安になることはなくなります。

対人関係でも自然体で言いたいことを言いえるようになりました。
高校生のときのいつも友達を笑わせていた無邪気さが
43歳にして戻ってきました。

「別に隠すこともないや、私はわたしでこれ以上でも以下でもないしね」
それが今の私の気持ちです。
「何モノかに見せないといけない」という縛りがなくなった結果
誰とでもフランクに話せるようになりました。

私は次第に肩の力が抜けていきました。
同時に私の身体もシンプルになりました。
贅肉が取れて心肺機能が上がり体力がつきました。
それまで、どこか軸がなくふらふらとしたいた身体の軸が
毎朝歩くことで、定まってきたのです。

心もシンプルになっていきました。
思ったことは隠さない、感じたことを粗末にしない、心の中のことを「なかったことにしない」。
そうやって自分の感情や気持ち、想いが私にもあるんだ、というところに
気がついてきました。
山の中でリハビリをしていたのですね。

私は自分のこの変化。
「自分を出さないようにして、周りに合わせて反応的な生き方」から
「自分の欲求に素直に従い、自分が決めてそれに打ち込む生き方」に変化して
これこそが自分の心身を自然体で活かし、そして
自分の人生を生きる、そしてそれに満足をして喜びを感じられる

結果、自分も人間関係も健康的な状態でいられる
そんな生き方なのではないのかな?と今は、感じています。

私はこのブログ、そしてメルマガを通じて
多くの方が自分にカスタマイズされた「健康生活」を手に入れ
一人でも多くの方が自分らしく生き、自分を活かし切ってこれからの日々を
過ごせるようになったら、私もとても嬉しいです。

診察室で、いつも患者さんにお話していることや
自分が暮らしの中で大切にしていることなど
これまでのはてなブログでの「女医とも子の診察室」に引き続き
書いていこうと思っています。

どうぞ興味がある記事からどんどんお読みいただければと思います。
そして、私がこのような活動をする上で私の過去の経歴を共有することでより、
理解が深まるのではと思います。

なので、今から私の過去の物語を共有していこうと思います。

ーーーーーーー女医とも子 物語ーーーーーーーーーー

私は40年間も、自分の言いたいことが何なのか?
わからないことにして生きてきました。

自分が感じていることよりも、周りの人に合わせることが
何よりの最重要事項でした。

 

幼少期〜自分の居場所を確保するために顔色を伺う末っ子ちゃん

 

代々医者の家系の3人姉兄の歳の離れた末っ子として生まれました。
祖父母も含めた7人家族、家族経営の病院で、親戚の大人も多く出入りする家で
育ちました。

大人や、大きな兄弟が周りにいつもいる環境では、
いつも人の顔色を伺い、相手を観察することが、
自分が心地よい場所を確保するために必要となりました。

言いたいことを言うよりも、相手に沿って自分の態度を決めていたほうが
有利になる、ということは、弱者なら身につけるのは自然でしょう。

また、「病院の子」として「きちんと恥ずかしくないように」
育ててもらいました。

ピアノ、バレエ、英語、習字、塾、あらゆる習い事で
一日に2個掛け持ちなんてこともあるような
忙しい子どもでした。

病院が私の遊び場でもあり、4歳のある日、診療室にかけてあった
人体の内蔵模型をみたときに、

「人のからだって、なんてすごいんだろう」
「いつか、これを理解できる人になりたい」

思うようになったのを覚えています。

また、父が患者さんに語りかける姿、
夜間でも救急車が来れば起きて診療をする姿、
翌日は一日かかりで手術もしていた姿、
そして、それに対して、自家製野菜を、
玄関の外にそっと届けてくれる患者さんたち。

そういう父の後ろ姿をいつもみていて
人と人との密な関わり合いを幼いながらに感じとり、
「私もいつかは医者になろう」と決めていました。

身体が大きすぎて、小学校では「でかいでかい」といじめられ、
からだが大きいのに言い返せないような、引っ込み思案な子どもでした。
むっつりした優等生でした。
「公立中学にいったら、もっといじめられる」と思い、
中学から私立に通わせてもらいました。

 

中学高校時代〜可愛くないことがコンプレックスだった

 

都内の私立中学高校生活で常に感じた「格差」は
「可愛い子はモテるけど、可愛くない子はモテない」という
残酷なだけど当たり前な事実でした。

私は身長がすでに165センチ以上もあり
電車に乗るのもイヤでした。
周りの男子学生より常に私の方が大きい。
いつも背中をなるべく丸めて小さく見えるようにして
電車に乗っていました。

そして、顔にもまったく自信がなく
「お母さんは綺麗ね(貴女は似なかったのね)」という言葉にいつも傷ついていました。w

なので、顔をごまかすたまめに私は眼鏡をかけることを思いつき
わざと暗いところで漫画や本を読んで視力を悪くし
晴れて「アニメ あられちゃん!」のような黒ぶちの眼鏡を買ってもらい
顔をごまかして隠していました。

私はオシャレはすごく好きだったけれど
「中心になる存在な子」と比べればまったく可愛くなかったのです。
「どうしたら自分を魅力的にみせられるか?」を素直に考えることが
できませんでした。w

文化祭などでは、友達が彼氏を呼んで一緒に歩いて見せびらかしているのを尻目に
「なに!?あんな彼氏いらないよね」みたいな態度で
コンプレックスを隠していました。

が、大学受験のための予備校に通い、そこで多くの男子生徒と
接する中で「ああ、外見が可愛くなくても、こうすればいいんだ」
ということを、学んでいきました。

可愛くなかったおかげで、私はどうしたら男子にモテるのか?の
学びを積むことができたのですね!!
おかげで、大学は浪人決定!!www

 

大学受験〜ひたすら暗記に明け暮れた

 

都内の私立女子高で、進路を決める時期になりました。
私は、勉強が嫌いで、テストはいつも一夜漬け。
まるで成績が悪く、「医学部をうけるのはムリ」
担任にも、やんわりと進路変更を促されるような子でした。

でも、私は医者になる、と決めていたので
「お金持ちのおバカ」が行く医学部専門予備校に通わせてもらい、
高校生のときは8つほど医学部を受けましたが
前記の通り、男子生徒達に気を取られ、浪人。

浪人したときには、初めて人生のピンチ、
他の、お金持ちのバカが行く医学部専門予備校へ移動し、
そこで「後ろがない怖さ」を知りました。

起きてる時間はすべて勉強
通学時間の電車の中も、脇目も振らずに勉強をしました。
地頭が悪かったので、覚える勉強法です。
もう、出る問題はすべて暗記してるほどに!!

模試の結果が悪すぎて、山手線の中で同級生に偶然会い、
泣きついてしまったことを今も覚えています。

予備校では私より成績の悪い男子が、旧設の医学部にどんどん
合格をしていく中、私は旧設の大学になかなか合格が
できませんでした。

私は「絶対に諦めない!」と最後の最後まで執念で
勉強を辞めずに粘りました。
最後の「慈恵合格講習会」では誰も話しかけられないほどの殺気で

一番前の座席に座り、勉強をしていた姿を思い出します。

そして、第一志望の慈恵医大に女子10人枠に入った
苗場スキー場に連絡がきて知ったとき。
(100人合格のうち、女子は10人しか当時は入学できませんでした)
信じられない思いで、親の声を聞いたのでした。

人生で初めての大きな成功体験でした。

 

晴れて大学病院で研修医に〜葛藤のはじまり

 

大学ではスキー部に属し、体育会っぽく
アルペンスキー、クロスカントリースキーの両方の
トレーニングを積みました。

そのおかげで、「体育の成績2」だった私に
「体力と根性」というものが身につきました。

国家試験もお得意の暗記勉強法でどうにか通過。
晴れて大学病院で研修医になりました。

ポケットベルを持たされて、onもOFFもない状態で
「先生」として、スタートしました。

医者になり、「これで人を救えるのだ」
意気込んでいました。

人を救うために医者になったのだから。

実際にどうだったでしょう。

外科系の疾患であれば手術をして、回復して
通院も必要なくなる方も多くいらっしゃいますね。

私は内科医です。すると、どうでしょう。

大学病院ほどの病院に一度入院される方は繰り返し入退院する方も多く、
入院するたびに明らかに体力、気力も落ち、退院できなくなっていく。

血液の病いでは
自分で点滴伝票を書く手が震えるほどの劇薬を扱い、
「本当にこれで治るのか?」
「間違えたら、とんでもないことになる」と
研修医にとってはものすごい重圧を感じながら過ごしました。

血液の病いでは本当につらい治療を受けながら、
「先生、これをやったら、今度は治りますか?」と
研修医にすがる患者さん。

なのに、がんばって治療耐えても
残念ながら、お亡くなりになる方が多く
わたしは、その時の病棟の廊下を虚しく歩いたことを覚えています。

命が儚すぎるじゃないか、と。

「おまえ、研修医のブンザイで!
ちゃんと名前は”様つけ”で呼べ!!」なんて
都心の病院では社長にいじめられ、泣いたこともあります。

患者さんご自身の生活習慣で調子を悪くしているのに
「まったく治んないじゃないか!お前医者だろ?」と
怒られることもありました。

私はくやしくて泣いて両親に電話をしたことも一度や二度ではありませんでした。
病院から夜の東京タワーをお腹も空いたまんま眺めて
わたしって情けない大人だな、とそう思っていました。

いろんな都会の大人達をみて、何が偉いか知らんが、
それなら、自分の生活とその態度をどうにかしてもらいたい
そういう気持ちも芽生えてたのを覚えています。

小児科ではどうだったでしょう。
気管支喘息で繰り返し入院する子の中には

家で親から愛情を注がれていない子がいました。
なので、繰り返し、病院に避難するように入院をする。

もう、退院してもよい時期になっているのに
親はまだ、入院させておいて欲しい、という。

すべての症例でそうとはいいませんが、気管支喘息の子どもは
何かしら、環境に課題がある子どもが多かったような気がします。

精神科では
これは何だろう?と医学生のときから疑問に思うことがありました。
医師は話を聞いてないし、聞いても適当な薬をどんどん処方する。

相手を人だと思ってないのか?
「とにかく、黙らせるために薬を与えて、依存させる」

もちろんすべての精神科医がそうだなん思ってません。
でも、そういう先生が大学病院にもたくさんいました。

「心と身体はつながっていて心を学びたい」と精神科の医師になることも
考えていた私は「ここでは、まるで心は学べないな」
「人の心をむしろ無視して、薬で症状を消してるだけだな」
そう思わざる得ませんでした。
非常にがっかりしたのを覚えています。

忘れられないのは、当時のわたしよりたった3歳年上の
婚約者もいる男性患者さんです。
進行がんで抗がん剤治療を受けていました。
その身体は、もうガリガリで、元気だったころの
面影はなくなっていたのでしょう。

長く入院されていたので、研修医にもキビシく、
いつもお叱りを受け、その患者さんのところへ行くのが
怖かったです。
歳も近い。私は病状を知っている。彼は、知らない。

何ということなんだろう。
私はひたすら採血をして、話を聞くだけ。
何もできない。
話をすることも間違えたことを言うと
傷つけると思い、聞くだけ。

その男性患者さんは私よりたった3年長く生きただけで
婚約者を残して亡くなっていきました。

医者はいったい何ができるんだろう
いったい、何のめに勉強をしてきたんだろう、と苦悩しました。

まったく、救えることなんてできないじゃないか!!!!!!! 

 

大学病院で感じた違和感〜わたしは薬の売り子なのか?!

 

医者になった途端、私はものすごい違和感を感じたことがありました。
それは、大学へ早朝出勤すると
大手薬メーカーのMRさんという自社の薬をアピールする職種の営業マンが
毎朝、玄関の両側に整列し、「おはようございます!」と
不自然な笑顔で、ぺーぺーの研修医のわたしにも挨拶をしてくるのです。

「なんで、こんな自分にまで、へこへこしてるんだろう」
私は思いました。どうしてなのか?は働いているうちに段々と
わかってきました。

大学病院では、点滴伝票や、処方箋を書くのも研修医が
やるようになります。
つまり、自社の薬を使って欲しかったら、
伝票をきる人間に、自分と、自社の薬を覚えてもらう必要があったのです。

実際に、先輩医師に
「抗生剤は、これか、これか、これを使うように」と
指示をされることもありました。

先輩医師と、その製薬会社のMRに
何がしの関係がある、ということです。
ゴルフや贅沢な食事、学会の時のホテル宿泊の手配、
そういうことをMRにしてもらっている、ということです。

昼の製薬会社の薬の説明会では
医者が喜ぶような、3000円とかの高価なお弁当が配られ
そこで「こういうときは、この薬」と刷り込まれるのです。
新米のMRのプレゼンの緊張ぶりをみたら、
それがどんなに重要な役割を持つのか?がわかりますね。

たかだか、数千円の弁当で、医者がその薬をたくさん使ってくれたら
その利益はものすごいものになるのですよね。
当時の研修医だったわたしは、そこまで気がついていませんでした。

ただ、「めんどくさいけど、お弁当食べられるから」と
疲れたからだを、昼ごはんの時間に休めていたような気がします。
で、そこで見事に洗脳されていたのですね。

後になって経済の歴史から現代までを
通して学んだときに、
医療産業の流れがみえました。お金の動きが見えました。

高血圧や、脂質異常症の診断基準は
人の健康のために作られたものではなく、
薬がなるべくたくさんの人に医者によって処方されるように
製薬会社が作っているもので、それに「これで良い」と
太鼓判を押して何がしの利益を得ているのはある一部の人たちなのだろう。

私たち、下っ端の医者たちはそうやって作られた診断基準を
勉強もせずに、まともに信じて外来にやってくる患者さんを
きびしい診断基準で診断して、バンバン薬を処方する

「わたしは薬の売り子」か。

大学病院から地域密着型の病院へ〜一人の人を全体として診る

 

大学病院では、朝から晩まで、本当によく働いたし、
勉強もしたし、学会発表もしました。

でも、私は検査やカルテ記入、教授回診や症例検討会に明け暮れるよりも
もっともっと、患者さんと密に対話したかったのです。

大学病院にいると、患者さんも検査、検査ばかりで
加療もハード、医師も看護師もやることが多すぎて
患者さんとしっかりと向き合うというよりも
症例と向き合わざるを得ない状況だったと私は思っています。

もちろん、そのおかげで、医療発展になっている部分も
多々あるでしょう。
大学病院でしか扱えない特殊な病気があるのも確かです。

けれども、私は最新の医療を追い求めて
あるいは、病院の利益を考えて病気の患者さんを検査漬けにして
ものすごい量の投薬をし、
治ってないまま次の患者のために入院ベッドを開けるため
不安な患者を家へ追い返す、
そういう医療がしたかったのではありませんでした。

「患者さんに寄り添いたいのだ。」
「私が考える医師の姿は、大きな大学病院では実現されない。」
「しあわせな人生はなんだ?」

そう思い、結婚と出産を期に
実家の地域密着型のクリニックへ帰りました。

高い予備校に通わせてもらい高額な学費を出してもらい
死ぬほど勉強して医者になり、
「これで人を救えるのだ!!」と意気込んだものの、
大学病院の現実に落胆した研修医時代。

今度こそは、自分が思うような医療を、
患者さんに寄り添った医療をしていこう!
そう思い、張り切っていました。

ですから、3人の子どもを生み育てながらも、仕事を続けました。
実家のクリニックでは、ほぼお年寄りがメインで
内科といっても、皮膚も、骨も、関節も、全部を診ることが
求められました。お年寄りはいちいち、他の病院に行くのは大変だからです。

そして、たまたまお勤めだった漢方の先生にもそこで出会いました。
身体つき、生活歴、病歴、視診、触診、脈診などを組み合わせて
患者さんを診ていく方法は、大学病院で満たされなかった私の
「医者だったら、こうやって診察をきちんとして診断をするものだ」
という欲求を満たしてくれました。 

私も、漢方薬の面白さを探求したいと思い、都内まで定期的に
学びに出かけました。

一人の人の全体をみる。
その力を、小さなクリニックで養いたいと思いました。

外来で多くの患者さんを診ていくうちに
「暮らし方が、身体の症状にでている」

「その人の固定観念による縛りで、身体に症状がでている」

「人間関係、金銭面での問題が、ダイレクトに身体に症状がでている」

そういうことに目が向くようになりました。

分かりやすい例ではテレビの健康番組を観ては
翌日に病院にかけこみ
「先生、わたし、○○の病気じゃないか?って心配になっちゃって」と
常に自分が病気かもしれないと
不安になってしまうひとがいます。

生きてる時間すべてが「自分は健康なんだろうか?」という不安で
占められてしまっているのです。

それで実際に、不安が慢性化しているので
不眠、食欲減退、やる気不足、により
体力、気力も低下しているので
実際に不健康になっているのです。
下剤、胃薬、睡眠剤などを常用することになります。

わたしがいくら
「考え方を変えたら、薬はいらないくなるから」と言うのに
「先生、お願いだから、薬をください」と
断固として、そのままの考え方を維持するために
薬とわたしに頼りたがるのです。
わたしに「大丈夫だから」と言われるまで帰りません。

見るからに健康体の男性で
毎日歩いたり、食べ物に気をつけているひとでも
ちょっとしたことが気になり
私のところにきて
「自分が大丈夫かどうか?」を確認したがります。

わたしは、わかりそうな人にはこう話します。
「○○さん、生まれてしまったということは100%死にますから」と。

「大丈夫か?というのは、何が大丈夫ですか?
死なないか?と私に確認したいのなら
答えは、死にます、ですよ。」と。
それが理解できた人はその後が楽になります。

死ぬことを前提に、
じゃあ、今日は何をしようか?
じゃあ、少しでも元気で過ごせるように、こうしよう。
時間はムダにしたくないから、今を気分よく過ごそう。
そうなるのです。

でも、死を前提に生きることができる人は
まだまだ、少ないです。

死を忌み嫌い、死をみずに良いところだけを見たがり、
おいしいところだけ、とりたがる。

そして、身体の調子が悪くなると「なんで、治せないんだ!」と
自分では何も学ぼうとせず、生活態度も改善せず、
心の持ちようも変えようとせず、医者のせいにする。

「なんで、自分がガンで死ぬんだ!」と医者に嘆いて、怒鳴る。

家族も医者が悪い、
この小さな病院の設備が悪い、
使ってる薬が悪い、カルテを見せろ、
そんなことを言うひともいらっしゃいます。

今まで長年その心と身体を使ってきたのは誰ですか?
どのようにそれらを使ってきたのですか?
私は問いたいです。

悪くなったからはい、医者まかせ。
心配だから診てくれれば安心だから。

そうやってスーパーにでも来るように
気軽に病院にかかってる方もいらっしゃいますね。

「大事なことも考えずにここまで暮らしてらして
最期になって私にすべてを捧げられても、それはとても難しい」

人の最期には
お金
家族含めた人間関係

それらをきちんとしてこなかった人は
すべてドロドロと噴き出します。

そこをいきなり、患者さんやご家族は直視できるはずもなく
結局、医者や病院のせいにしてすり替えられてしまう。
わたしの責任なのか?そう苦悩したことも多々ありました。

「それが人っていうものなんだな」と
私は半分、諦めでも、どこかで
違う方法がもっとあるはずだ、と試行錯誤をしていました。 

人の死に寄り添って〜人の死に様は、生き様である

 

兄が院長になり、在宅診療に力を入れるクリニックになりました。
近くの大学病院で、ガン治療をフルコースで受け、
「もう、大学ではやることはありません」と言われて
落胆した患者さんが紹介されてくるのです。

看取りの医師のことを「敗戦処理」などという
馬鹿な医者もいるのを知っていますが、恐れ多いです。

大きな病院で好きなだけ劇薬を投与し、
ボロボロになった患者さんを
最期まで診ずに看取りの医師に受け渡すのです。

患者さんを最期まで診ても
あんな風に、薬を使うのかな?と私は思っています。
それほどに大きな病院でボロボロにされた方の苦悩は大きいです。

看取りこそ、誰でもできることではなく、とても大事な仕事です。
私は、その患者さんが亡くなるまで寄り添う医師になりました。

医者になった当初は、「人を救える」と信じ、
大学病院で「人は救えない」と知り、
今度は「人の死に寄り添うひと」になりました。

医者は人の死に対して「負けた」と言うひともいます。
でも、生まれたからには、100%死ぬのです。

その死に向き合えないようでは、どうしようもないのではないか?
私は思うようになりました。

なかなか、人の死に寄り添うことができるひとはいません。
なぜなら、亡くなるひとはもとより、そのご家族までも
スタッフと共に支えていく必要があるからです。

そして、なるべく良い方向へ導けるようにリードをしていくのです。

それは、何がなんでも助けようと、がむしゃらに薬を使うことでもなく、
患者さんをむやみに励ますことでもなく、
ただただ、そこにいることで苦痛を和らげる。
その場を整えることも、大事な仕事です。

多くの方の死に向き合ううちに
「人の死に様は、生き様である」ということを
確信するようになりました。

生きているときに、人に優しく、自分のことも一生懸命やってきたひとは
亡くなるときも、時間を選び、家族に見守られ、亡くなる。

一方で、「なんで俺ばっかり病気になって、お前らのせいだ!」と
悪態をつくようなひとは、最期までつらく、苦しみ、
亡くなり方も、大変な状況になるのです。
ひとりぼっちで、亡くなることもありました。

じゃあ、私はどうなんだ

「死に様は生き様である」ということを確信するようになり、
「じゃあ、私はどうなんだ」
そういうことを、自分に問うようになりました。

3人の子どもに恵まれ、私が働いてさえいれば
金銭的にも余裕を持ってに暮らせている。

でも、私は子育て、仕事、家事を頑張り、その割に
満たされない自分がどこかにいつもいて
寂しかったのです。

もっと自分を生かして何かをしたい。
自分が思う医者の役目は他にある。
というよりも、わたし自身がもっと「自分の感じることを感じて
生きてみたかったのだ」というのは、随分後になるまで
分かりませんでした。

とにかく「仕事」にフォーカスを当てて道を探ることしか
当時のわたしにはできませんでした。

そんな思いを持ちつつも、
でも、私には守るべき家族がいて、親からもいい子でいることを期待され、
実家の病院のためにも、私はあくまでみんなの影武者でいるのが
いいのだ、と言聞かせる自分もいました。

誰かのために、自分ががんばればいい。
自分は我慢していればいい。私は後回しでいいから。
言われたことだけ、していたらいい。

そうやって頑張るうちに
私は自己否定感に苛まれるようになりました。

そんな私の人間関係は
本来の私の姿でない私の姿で作り上げた人間関係。

段々と、息が詰まるようになりました。

私は夢中で取り憑かれたように
毎朝山を、歩くようになりました。
冬でも夏でも朝四時半に起きて、家事の前に一人黙々と。

冬などはまだ、真っ暗で
自然の怖さをダイレクトに感じました。
でも、私は比叡山の修行僧になったつもりで
無我夢中で山道を歩きました。

そして、自問自答するうちに、
自分に素直になる、
思っていることを口に出す、
人の犠牲になるような生き方ではなく、
自分を生かすことで、人の役にも立つ生き方がある
そう、考えるようになりました。

私は徐徐に自分というもの、
本当の自分の声に耳を澄ますようになりました。

それに従って行動したときに、
意外にも、それを喜ぶ人もいることに気がつきました。

子どもがそうでした。
好きなことを、一生懸命やるようになった母親を
子ども達は嬉しそうにみて、
そして自分たちも随分とのびのびするようになりました。

良い母、良い奥さん、良い医者。
いつもそういうことで自分で自分を縛っていたということが
段々、わかってきました。

一方で、そういう私の考えを良く思わない人もいました。
人の前に出ずに、期待に応えていた分、
私の変わりように、渋い顔をする人も出てきました。

私は自分が私らしく生きるためには、
決心しなければならないと思いました。

私が実家のクリニックで働き、そこから給料をもらっている限り、
病院のためにも、保険適応にそった医療をしなければならない。
私は自立できない。

よく生きるためには身体の症状だけみて、
それをねじ伏せるような
薬を与えるだけでは
何も根本から良くなっていない。

良く生きるためには、症状から逆算して
根っこをみつけ、そこを改善するための
生活指導、心の持ち方、ひと付き合いの仕方、
そういったことを教えていくことこそ、それにつながる。

薬はあくまで、つらすぎるとき、急病のときの
補助であればいい。

そういう考え方は医療の世界では
ある意味では「普通でない」考え方であり
実家の病院にも迷惑がかかるかもしれない。

「おかしなことを始めた」「変わってる」
そういう声を聞くことになるかもしれない。

今こそ、そこから飛び出し、自分の足で立つ。
自分を生かして稼ぐしかない。

私はそこで、14年勤めた
実家のクリニックを辞めることにさせてもらいました。

私に看取ってもらいたい、という
お年寄りの患者さんに泣かれ、
長年、共に患者さんを支えてきたスタッフにも泣かれ、
本当に、身を切られる思いでした。

でも、わたしには、これからやることがある。
医者になってから葛藤を繰り返し、
ようやくここまできた。
これで後ろへ下がったら二度と先へ進めない。

多くの方々の私への思いを断ち切り、私は決意して
新しい出発をすることにしたのです

 

半年の人生の休暇

 

クリニックを辞めてから半年間、
私は「何もしないことをする」ことをしました。

大学入試からずっと20年間、走り続けてきました。
たくさんのモノを両手、両足、背中にお腹にいっぱい抱え頑張りました。

荷ほどきをするヒマなんてありませんでした。
自分が何をしたいのか?を考えるヒマすらありませんでした。
感情も麻痺していたと思います。
そこで、しばらく本当に何もしないことにしたのです。

驚いたのは人がいかに、何もしないことが難しいのか?です。

特に、真面目で、責任感があって、頑張りやさんだと
やれるのに、やらないということは
ものすごく怖いし、立ち止まってる、進んでない、
置いていかれるような気持ちになるのです。

完璧にいつも作っていた食事も
少し手抜きをすることもできるようになりました。

着ない服を捨て、いらないブランド品をリサイクルに出し、
自分の衣食住を見直しました。

休むことによって私はいかに自分が
すべてを頑張り過ぎていたのか?が分かりました。

そして、世間体や、人の目、常識、固定観念というものが
いかに自分自身を縛り付けてきたのか?ということが
本当によくわかるようになりました。

縛り付けられていたからこそ、私は自分である前に、
他人からみた、良いひと、良き母、良き医師、良き女性であろうとしていた。

そのために、ものすごく消耗し、疲弊していたのです。
「やりたいことをやるエネルギー」なんて残っているはずもありませんでした。

ですから、何かをやりたい、と思ってもそれをする元気もなく、
焦りばかりが先攻し、
「こんなにいろいろやってるのに、どうして私はダメなんだろう」
という自己否定感にいつもいつも苛まれていました。

「何もしない」でいるうちに、私はどんどん、身軽になりました。
心身ともに、実際に、身の回りのモノたちも軽くなっていきました。

それに伴い人間関係もまったく変わりました。
会いたい人以外にはまったく会わないで平気。
一人の時間が大事。

こんな感じでありとあらゆるモノを捨てた年。 
いらないものを手放して整理してすっきりしたのです。

するとどうでしょう。
私は、特別なトレーニングも何もしなくても
健康に気をつけなくても勝手に疲れ知らず、
いつも何かをしてみたい!という純粋な好奇心に満ち、
30年も飲んできた便秘薬も不要となり、
すっかり明るい自分になったのです。

人は自分以外のことに気を遣い過ぎると 
いかに、エネルギーを消耗するか、ということを実感しました。 

これまで、ありとあらゆることに 
大変ムダに消耗していたんだなっていうことをとても後悔しました。 

 

病気の意味〜あることを知らせるためのフックなのでは?

 

医者になって17年が経って、延べ40000人近くの患者さんと
関わってきました。 
その中で私はある独自の考え方をするようになりました。

それは、病気というのは、自分の生き方が違うよ、ということを
気づかせるための、フックなのではないか?と。 

Ⅱ型糖尿病や高血圧はわかりやすく生活習慣病と呼ばれているくらいですから、
その方は生活習慣のどこかがおかしい、と気がつくチャンスだと思います。
特にⅡ型糖尿病や脂質異常症の方は、食欲の異常がらどこからきてるのかな、と
考えてみるとよいと思います。

なぜそんなに食べてしまうのか。
心の中まで見直すチャンスです。

例えば仕事に支障が出る程の腰痛や、足の痺れ、肩こりからくる頭痛。
これは働き方が今後もそのやり方でよかったのかどうか、
見直すチャンスなのでは?ととらえてみる。

仕事を病欠してしまった、ではなく、
小休止して考えてみる時間を貰えたと思えるのかどうか。

悪性疾患の場合。これは、死因になりうる病気です。
なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか!と憤ることもあるでしょう。
恐怖で絶望することも。

こういった病にかかってしまったら、
やはり生き方全体を見直すチャンスなのではないでしょうか

自分が何に価値観を持ち生きてきたのか、
何をしたかったのか、どんな人達に囲まれて生きてきたのか。
そういった人生の棚卸しをしてみるチャンスだと
とらえてみてはどうなのでしょうか。

それどころではない時期もあるでしょう。
でも、必ず何か気づくきっかけになってくれるはずです。

悪性疾患が完治できなくても、
病気と共存しながら生まれ変わった気持ちで
生きておられる方をたくさんみてきました。

それは、その病気にならなければ、気がつかない、
経験できなかったことかもしれないのです。

どんな出来事にも、理由があります。
起こるべくして物事は起こっているということを、
病気に置き換えてみることもできるはずです。

そこから、生まれ変わるべく生き直す。
ひとは、強いということをわたしは教えていただきました。
逆に脆いということも。

だから、我々のようなサポーターがいる、
そのように考えるようになりました。

医師は病気をねじ伏せる、治すことだけ考えて躍起になってはいけない、
その先にあるもの、あるいはその根本にあるものを見極め、
その方が気がつくようにそっと寄り添うことも、
大切な医師の役割なのではないのではないか?と。

このような考え方をする医師はまだ数は少ないと思います。
なので、私のこういう考え方を知り、母校の同級生などは
「おかしなことを、言い出した」と縁遠くなってしまった人もいました。

ですが、私は実際に患者さんと向き合ってきて
そのように考えるようになったし、
また生活習慣や、心の扱い方、思考のクセなどを
意識するようにするだけで、悩んでいた症状が消えるのをみてきました。

なので、これはもっと多くのひとにも教えていきたいし、
病気になってから、症状がひどくなってから、
悩みが深くなりすぎてから、ではなく、
もっともっと、手前、もっともっと、若いうちから
こういうことは、皆が気楽に、健やかに、好奇心を持って生きるためには
必要不可欠な知識だと考えるようになりました。 

私の外来にたまたま来たひとだけではなく、
病気になってない、だけど、予備軍の人たちにも。
さらには、子どもを持つ親御さん達にも。

 

繰り返し病気になる子どもに〜外来で診た親子関係について

 

私には3人の小学生以下の子どもがいます。
参観日や、外来でいろんな子ども達をみることがあります。
小学生になるころには、病んでいる子どもがいるのが私には分かります。
なぜだと思いますか?

普通がいい。
良い大学、良い会社に入らないとろくな大人になれない。
何でもできるようになって欲しい。

様々な情報が溢れる現代社会の中で
大人のエゴのしわ寄せを喰っているのが小さな、弱い子どもたちです。

少し変わっているだけで「育てにくい子ども」というレッテルをはられ
学校でも問題児扱い。

「普通」にするために口うるさく言われているうちに
心身ともに、本当に病気になっていくのを私はみてきました。

私は内科医ですが 夜間診療所などで子どもを診る機会もあります。

中には定期的に原因が分からないけれど吐いたり、微熱が出たり
お腹が痛かったり、そのような症状でやってくる子どももいます。

親は当然すごく心配しています。
ほとんどの場面では、子ども本人ではなく親が医師に状況を伝えます。  

まるで「わたし(親)は悪くないんです」って言われてるみたいに。
そして、子どもはほとんど話をしません。

具合が悪いのもそうですが
何か訴えることもしません。
例えそれが中学生になってたとしても。
目つきもぐったりとしています。

これは病気のせいなのか、
普段もどこかで何かを思っている目なのか。

私は診療するときに全体をみます。
病気というのは「気」から来ることだって十分ありますね。
気を張って、頑張り切ったあとに病気で寝込むことがあるように。

子ども達というのは、家族の中で一番弱い存在です。
兄弟がいれば、その中で、弱い子、強い子がでてきます。
家族関係の悪い部分のすべてを「子どもが吸い取ってしまってるかもしれない」
そういう視点を持つことは親としては必要なことだと思っています。

自分が3人子どもを持ってみて、
子どもに悪いものがいくな、ということを実感したからです。
どうしても悪いものは一番弱いものに流れ込んでいくものです。
悪いものが流れ続けてきたらどんなに若い元気な子どもであっても、
身体も心も壊れていくでしょう。

ですから、親達は、大人の問題や親子の問題を
子どもに流したらいけないと思います。
それは、親の課題であって子どもの課題ではありません。
親と他の兄弟の関係は、それ以外の兄弟の課題ではありません。
どうしたって悪いものは弱い子に流れるのです。

また、親が「子どものために我慢する」をずっとしていると、
親の我慢によってできあがったストレスが
結果それが子どもにいってしまうという、
望まない状況が出来上がることもありますね。

お母さんは、一生懸命にやっている。でもすごく辛い。
そうなると子どもも辛くなるものだと私は思います。

だからこそ、お母さんは自分の身まずきちんとする。
きちんと、というのは気分良く日々を過ごせるようにすることです。

それは誰かにしてもらうものでもなく、
自分で自分を気分良く過ごせるようにする。
我慢していることがあればそうしなくて少しでも済むように
そこに取り組むこと。

子どもがかわいいのならまず自分をきちんと気分良くする。
そうじゃないと本当にみていて可哀想な子どもがたくさんいます。

我慢し過ぎや、頑張り過ぎの大人のせいで
子どもの具合が悪くなってるとしたら?
そして、なぜそうなってるのかも分からず、
不安が増す大人と何が不満で辛いのか言えない子ども。
みていてとても辛いです。

だけれども一般診療でそこまで踏み込んだ話をすると
逆切れされるのが目に見えていますね。
「何言ってるんですか!!」と怒られるに決まってる。

だから、子どもにだけはそっと声をかけます。
「辛かったらまた、おいで。」

子ども達はどこにも自分の中に溜まったモノを
吐き出す場所もなく吐き出し方も知らずに、
苦しんでるんです。

私は医師の仕事をしながら一方で自分の身を振り返ってきました。
私も自分の子どもには自分の汚いものは流し込みたくありません。
だから、そこから行動を選ぶのです。
私が心地良い環境を作ること。
これこそが母親として子どもを守れる方法だと思っています。

親が子どもを持つというのは、 
自分の身を常に振り返るチャンスが与えられていること
でもあります。

それをせずに言い訳ばかり大人がしているのでは、 
子どもはどうなのでしょう。

「仕方ないじゃない」といいながら、
自分の子どもを 
親の不安や、世間体、学校のこと、そういう理由
寄り切るまで責め続けてたら、 
弱い子どもが病気になるのは当然です。

親が辛いなら、親は、辛くならないように自分を整えるのです。

子どもに口出ししてるのは、 
子どものためではなく、
自分の毒を流してるかもしれないんだ、ということです。

子どもはすごく大切です。
それなのに、知ろうともしない親のせい
いいのでしょうか?子どもを壊していってしまって。

だからこそ正しい情報を得て、学ぶ姿勢は
大人なら全員、持っていなければ
親によってつぶされる子どもが増えるだけです。

「子どもに計算ドリルやらせる前に自分が学ぶ方が先だな。」
私はそう思っています。

情報発信をするようになって 

 

医者になり、病気の人をみて死に寄り添い、
そして自分が子どもを生んで生をみて、
自分がすっきりしたときに、
私は、もっともっと多くのひとに
自分の考え方を知ってもらいたい、と思うようになりました。

せっかく生まれてきたのに
間違えた情報、偏った考え方、世間の目、固定観念、
そういったものに縛り上げられ、
あげくのはてに病気になってから後悔するのは
もう、いいのではないか、と。

それも、順調ではありませんでした。 
情報発信を始めた4年前は、
「医者のくせに、こんなことを書いて公開したら、大変なことになるんじゃないか?」
悩みながら、でもブログなどで発信を続けてきました。

自分がどれだけ「医者」という職種に縛られ
「それらしく振る舞う」ことを自分に強要してきたのか?を
知ることになりました。

「わたしは何が不安なのか?」を考えたときに
やはり「お金」でした。
おかしなことを言って働けなくなったら困る。

私はボランティアをするつもりなど毛頭ありません。
「お金なんてなくてもいい」というのは信じません。

なぜなら、お金の大切な場面をみてきたからです。
人が年老いて、何もできなくなったとき
お金があったらその人らしく選んで最期が迎えられるし、
逆にお金がなくて本当に気の毒な選択しかできない方もいるのを
みてきました。

そして、お金でもめる家族関係もイヤというほどみてきました。
十分すぎるくらいお金があってもいざこざするのです。

お金についての学びをするうちに
なるべく会社、企業、人への依存度を下げておくことが
何よりの自分の自由になるな、と実感しました。
お金は自分で稼ぐことができたら、身体、心、時間的にも
自由になれる確率がものすごく上がるのでしょう。

様々な葛藤を越えて、私は自分だと思っていた姿が
実はそうではなかった。

隠れたところに本来の自分がいて
「自分らしさ」を発揮したときのこの喜びを持って生きたら
死ぬときに後悔なんてしないだろうな、と今は思えるようになりました。

だからこそ、矛盾を恐れずに本音で語ることで
今、悩んでらっしゃる方への何かしらのヒントになると確信しています。

ひどい自分も、弱い自分も、ダサい自分もみました。
でも、以前、誰からみても完璧だったわたしより
今のほうがよほど魅力的だと思います。
わたしを生きてるからです。

わたしを生きたらもう、「何かを得なければならない」と
ノドから手がでるような顔つきで
必死にさまようこともありません。

あるのは、「知りたい」「やってみたい」という純粋な好奇心だけです。

そして私は生きることは死ぬまで発展途上だし
そこに特別な意味合いはないと思っています。
わたしを生きてる道筋だけが後に残る。
それだけです。

ーーーーーーー女医とも子 物語 終わりーーーーーー

 

改めて「自分の欲求に素直に生きる」のコンセプトのおさらい

 

いかがでしたか?
私のブログでは「自分の欲求に素直に生きる」
ということを基にして読んでいただけると非常に読みやすいかと思います。

私はメールマガジンと最近はYouTubeでも
情報発信をしているのですが
「とも子先生は最初から迷いがなかったから」と言われることがあります。

だから「あんな風に思いっきり自分の言いたいことを言えるのでしょう」
「自分の感覚を信じて生きているのでしょう」
と、まるで自分とは最初から違う世界にいたんだ、というようなことを
言われることがあります。

でも、そうではないのです。
私はずうっと40歳まで自分を隠して生きてきました。
人の顔色ばっかりうかがってそれに合わせて生きてきました。
きっと私のことを印象にない友達がほとんどなのではないでしょうか?

「私としての発言」や「私としての表現」をしてこなかったのですから
「私がどんな人なのか?」は誰も知らないのではないでしょうか?
ただ、与えられたことを頑張って真面目にきちんとこなす人。
私はそうでした。

ですが、そんな私も変わることができました。

自分の個として感覚を取り戻し
本来の自分の欲求に素直になれることが
こんなに喜びに溢れる日々を送ることができ
そんな自分でいられるのは何よりの喜びであり、
自然体でいるだけでこんなにパワーが湧いてくるのです。

幼い頃から学校教育や親などの大人達によって
「自分の欲求よりやるべきこと、他人のことが優先」と
私たちは教えて育ててもらいました。

が、そのままで生きていくと、どこかで心身に破綻をきたしたり
それより何より「私、生きててたのしいな」とか「私、このままいてもいいんだ」という
根底の喜びを感じることなく常に焦ったりイライラしたり、モヤモヤしたりして
生きることになってしまいます。

けれど「自分の本来の欲求があること」に気がつき、
またそれに従って最初は恐れながらも行動に移していくことによって
自分の人生の羅針盤を自分で持つことができるのです。
誰のせいでもない、自分が決めた喜ばしい日々。
そんな日を誰でも歩くことができるのです。

私の情報発信がきっかけで
病気になったら医者にではなくて
病気になるべくならないような
そういう暮らし、心の持ち方、感情の処理の仕方、
人との付き合い方、そういったことを学ぶことで
変わる人がどんどん増えて
本当の健康生活を手にいれること。

そして、「自分の欲求に素直に生きる」ことをし始める人が増えて
それを共有することができたら私は最高に嬉しいです。

「本当の健康生活」そして「自分の欲求に素直に生きる」を
目指していきましょう!

そして私はそのためにメールマガジンを発行しているのですが
メールマガジンではより具体的な話もしていますし
自分自身の気づき」のきっかけになる読む処方箋のような
そんなコンテンツを配信しています。
耳が痛くなるようなコンテンツもあるかもしれません。
でも、私も同じです。未だに私も日々、

「ああ、私ってまだまだだな。甘かったな」という場面が
たくさんあります。

でも、その都度諦めないで、自身を改善するべく
方法を模索して、試しています。
そんなリアルタイムでのコンテンツも配信しています。

興味のある方は無料なので
是非こちらからご登録ください。

女医とも子のメールマガジンはこちらから。

以上になります。
長文を読んでくださり、ありがとうございました。
女医とも子こと、小室でした。



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内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

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あるいは、人間関係について、子育てについて、
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まずは自分を解体し「つまづき」を発見したり
解決法を見つけたり、読む処方箋のようなものになっています。 心と身体はつながっているので、自分の心を見ることなしに
他人や世間の目ばかり気にして見ていたのでは、
そのひずみは身体に表れたり、
「まったく自分の思い通りにはならない日々」が続きます。
まずは自分を振り返る。
これまで見て見ぬ振りをしてきた自分を慈しむためのメルマガです。

4 件のコメント

  • はじめまして。

    わたしは看護師をしています。
    思い描くところと現実のギャップに違和感を覚えながら働き、必死にやっていたら、潰れました。
    今も続けてはいますが、やはり違和感はどうしてもぬぐえないですね。

    先生の考えや思い、わたしは好きです。

    わたしにはタイムリーだったので、コメントさせていただきました。
    先生のような方と一緒にお仕事が出来たら見える世界が違うかもしれないなと思いました✨

    • はじめまして。 
      看護師さんをなさってるのですね。 
       
      私は、いま、一般病院で普通に外来をしていますが
      自分の考えがしっかりすると以前のように苦しむことはなくなってきました。
      うまく、自分の考えと、保険診療でできることを調和させていくことで、結果患者さんにいかにメリットを増やしてあげられるか?
      そこにフォーカスをあてています。 
       
      もちろん、看護師さんと医師とは、守備範囲も違い、医師の指示の元に動かねばならない看護師さんは
      さらに、違和感が大きくなってしまうところもあるだろう、とその葛藤は理解できます。 

      が、潰されることなく、自分なりの看護を目指して、患者さんが少しでも喜んでくださるようにしていくと
      満足感は得られるのかもしれないな、と思います。 
       
      何かと戦うとか、抗うというより、調和させていって新しいものを作っていく、という感じが
      何についても良いのかな、という感触があります。

      志を持ってらっしゃるのですから、良い看護師さんになられることでしょう。

  • 高校生、中学生、小学生、3人の子をもつ40代母です。
    葬儀屋に生まれ、現在三代目を手伝う立場です。
    友人のシェアから、とも子さんのブログを初めて拝見しました。
    私は幸せなことに、死を日常として生活してきました。
    『生まれた以上、必ず死ぬ』という簡単な事に気がつけば、本当に生きるのが楽しく、キラキラとしてきます。
    とも子さんのたくさんの言葉は、私が感じても文章に出来ない事柄を、分かりやすく、正確に表してくれていました。
    人の最期には、どのように生きてきたかがはっきり現れます。人間関係、金銭、傷病、ご遺体が安らかか否か、左右されます。どう最期を迎えるかは、どう生きるか、であります。
    子供と向き合うとき、どうかこの子が、幸せな最期を迎えられる生き方をして欲しいと思っています。母には小さな手助けしか出来ません。我が子が最期まで、いつでも笑顔と健やかな心を持てるよう、祈ります。
    とも子さんのお話、必要としている方が、たくさんいると思います。赤ちゃんから、お年寄りまで、皆さんに必要なお話です。素敵なブログ、今後も楽しみにしております。
    長文、失礼いたしました。

    • かとうさん
      初めまして。
      お便りをありがとうございます。
       
      「人の最期には、どのように生きてきたかがはっきり現れます。
      人間関係、金銭、傷病、ご遺体が安らかか否か、左右されます。
      どう最期を迎えるかは、どう生きるか、であります。」

      葬儀屋さんをなさっているから、こその気づきですね。
      本当に、その通りだと私も思いますし、
      子供にしてやれることもわずかだ、ということも痛いほどわかります。

      これからも、コツコツと綴っていけたらな、と思います。
      ありがとうございます。

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