「私の10年を返せ!」とその人は言った

外来にはいろんな方がやってきます。
その日いらしたのは、50歳代の女性。
めまい症で内科にかかりました。

めまい症以外にも、蕁麻疹や頭痛を繰り返したり
眠りが浅かったり、と様々な症状を定期的に繰り返していました。

「去年、離婚したのよ。
ほんともう『私の10年を返せ!』と言ってやりたいわ!」と
その女性は泣き笑いして
帰っていきました。

私は、しばらくそのセリフにめまいがしました。

「私の10年を返せって……。」
その女性は、そのまま行ったら
今から10年後には
「何で私の人生、こうなっちゃったのよ!」と
言ってるのだろうな、と思いました。

めまいがしました。
何かのヒントになる人がいるかもしれない、と思って
今日は記事を書いてみます。

 

健康日記

 

50歳代のその女性の患者さんは
事細かな健康日記を付けていました。

体重はもちろん、一日に6回以上も血圧は測り
尿回数、排便回数、睡眠時間、蕁麻疹が出た、頭痛がした、etc.

その健康日記を見ただけで
「大変だろうな」と私は思いました。

健康日記をつけることは、
何も自分のことに興味を持たずに過ごすよりは
いいと思います。

ただ、健康日記も、度が過ぎると
ちょっとした体調の変化や、数値の変化に怯えて暮らすようになり
「変化をしたら死ぬんじゃないか?」といったような
恐れや不安の原因にもなってしまうことがよく、あります。

適度な健康日記は良い、とは思いますが
あまりに詳細に書き綴り、
それがすべて、どこに行くにも持ち歩く、
血圧を何度も測定する、
ちょっと変わったことがあると病院に行って
「大丈夫な理由」を教えてもらわないと
落ち着かない、などになると
少しばかり、ノイローゼ気味になってるかもな、と
思った方が良いかもしれません。

あまりに自分の体や心ばかりに気を取られていると
視野狭窄になるのと

揺れることが普通なのに、
揺れることが恐ろしくなり、
いかにしたら常に一定で健康的でいられるのか?を
求めて生きることになってしまいます。
「心もカラダも揺れるようにできている」

ただ、今回はこの健康日記があったおかげで
めまいや蕁麻疹が出ている原因がすぐに
私にはわかりました。

彼女に「お母さんの病院の付き添いの前後で
体調に変化が出ていますね」と指摘をしました。

「え!?そんなこと、関係があるのですか?」と
その女性は言いました。

『「動悸がする」は綱渡りしている証拠』 という記事にも書きましたが、

私が「ストレスがありませんか?」「いつも考え込んでいることがないですか?」
「あまりに、一日の間にやるべきこと、やることが多すぎてませんか?」という
質問をすると、

キョトンとする方がとても多いです。

「それが一体、この症状となんの関係あるの?!」っていう気持ちなのでしょう。

けれども、身体も、心も、声が出せません。
「ちょっと、無理しすぎだよ」と。

声が出ないからこそ
動悸や、不眠や、胃腸症状や、生理不順によって
声を出しているのです。

この事実を覚えているかどうか?によって
自分の身体や心の手入れを、病院に行かなくても
ある程度、することができると思います。

 

 

女性にとって今、一番の心配なことは
「母親の脳にもしかしたら腫瘍があるかもしれない」
ということだそうです。

もちろん、それは心配なのですが
でも、検査を受けさせるために母親を病院に連れて行くだけで
蕁麻疹が出たり、帰ってきてめまいがしたりしているのです。

「母娘関係によほどの何かがあるのだな」と
私は考えます。

その日は、その女性の患者さんにはそこまで深く
お話はできませんでしたが

「お母様のお世話も大事ですが
付き添いの前後で体調が崩れている、という事実に
まずは目を向けて、
あまり自分自身に無理をしないこと、が
大事なことだ、と思います」

そう、お話をしました。

 

そうすると、女性は、自分のことを
話し始めたのです。

 

ずっと我慢してきた

 

「実は去年の九月に離婚したんです」と、
とても言いづらそうに告白をされました。

でも、私もその時付き添っていた看護師の女性も
離婚をしているので
離婚をしていることについて、良し悪しを判断する、などといった
気持ちは微塵もありません。

女性にとってはそれがとても
気が楽になったそうなのです。

「誰にも、離婚したことを相談することもできなくて
ずっと自分だけで抱えてきて、
もう、悔しいやら、悲しいやら、やりきれなくて」と。

何年も離婚をするまでに我慢をしてきたそうです。
女性は、涙を流してこう言いました。

「『私の10年を返せ!』って言ってやりたいです。」
そして、

「こんな風に言えたのも、初めてです。
私は、こういう風に思ってたんですね」と。

「少し、すっきりしました」と
女性はニッコリして、帰っていきました。

 

「私の10年を返せ!」と誰に向かって言ったのか?

 

女性が、自分の心の奥の気持ちを
初めて吐き出せたことは、
とてもよかったな、と思いました。

ただ、心配なのは、
今、女性はお母様にあるところで
振り回されていることに気がついておらず
自分の体調に異変があることです。

離婚する前、離婚してから、今、
そのままの考え方で行ったら
女性はさらに、心身のバランスを崩すでしょう。

そのままの考え方とは
「〜のせいで、私は我慢してきたのに
全く思い通りにならなかった」

「〜のため私は我慢してきたのに
理想とは程遠い現状になってるじゃないか」

「〜に期待して、我慢してきたのに
期待とは全く違うじゃないか」

そういう依存的で、怒りでいっぱいの考え方です。

そして、その怒りを誰かに、何かにぶつけたがっています。

が、実際には自分自身の体を心を、
もろに攻撃している、とは
本人が気がついていないのです。

 

その女性は「私には稼ぎもないから、稼げないから」と
はなから経済的な自立をするつもりがないようなことを
外来でも言っていました。

精神的な自立はどうなのでしょうか?
自分のことより、他人のこと、
離婚する前は、自分のことより旦那や子供、
離婚してから、今度は親のことに
目が向いてしまっているのです。

生きて行くために何が必要なのか?を
考えてみて自分ができることはやらないと
結果、また

誰かに何かを依存し、期待し、
結果、裏切られた!と怒って終わる。

この繰り返しになりやしないか?と
私はめまいを覚えたのです。

 

何でもかんでも一人で解決せよ
何でもかんでも、自分だけでやれ
何でもかんでも甘ったれるな

そうは言ってないのです。

ただ、自分以外の何かを頼り、依存し、期待し
勝手に自分好みのストーリーを作り上げ

その通りになるべきだ、と 
 自分で何もしない、現状を受け入れることすらせずに
今日も明日もそこにい続け
願ったり、祈ったりするのでは

10年後、またその女性は
まるで自分が思い描いていた理想のストーリーから
かけ離れた現実を見て
「私の人生なんでこうなったんだ!」と
誰かに何かに向けて怒りをぶつけているつもりで

無意識に、自分自身の心身を一番、攻撃し続けるのでしょう。

 

我慢がいけないわけではない

 

私は、我慢をすることが全てダメだ、なんて思いません。

今、自分の現状をありのままに見て
それをそうだ、と受け止め
その上で我慢ができるなら我慢をすれば
それはその人の生き方であり
受け止めているのですから
誰のことも攻撃することにはならないでしょう。

一方で、
今、自分の現状を「理想とは全く違うじゃないか」と
ありのままに受け止めずに
「でも、私が犠牲になって我慢すれば
もしかしたら、将来は〜できるかもしれない」という風に
今の現状に目をつむり
不平不満だらけだけど自分が犠牲になることで
将来に何かを期待して、獲得してやろう
ということですと
思い通りにならなかった時、理想通りの未来にならなかった時に
誰かを、何かを攻撃したくなるのもわかるのです。

結果、
「私の10年を返せ!」と
誰かに、何かに向かって言うのでしょう。

けれども、本当は
「自分自身に言っているのだ」ということにも
言っている本人はどこかで気がついているのだ、と
私は考えています。

本当はわかっているのに
知りたくないし、認めたくないのが
人なのでしょう。

だって、それを認めてしまったら
後悔してもしきれない、

認めてしまったら
これからどう生きたらいいのか?
変化を自分がしなければならない、
今更?私が?無理でしょう、
誰かの何かのせいにしてこのまま行ってしまった方が
楽なんじゃないか、

自分のイタさは少なくとも見ずにすむ。
今までの自分がダメだった、無駄だった
馬鹿らしかった、アホらしかった、
何やってきたんだ!と
感じなくて済む。

「私だけが我慢して頑張ってきたのに!」と
怒っていれば誰かに慰めてもらえるかもしれない、
誰かに認めてもらえるかもしれない、
誰かによくやったね、と褒めてもらえるかもしれない。

 

まずは現状をありのままに見ること

 

誰かに、何かに期待をしても
自分の思い通りに、理想通りになることなんて
ありません。

もちろん、自分自身で努力をしたって
自分の思い通りに、理想通りにいかないことだって
多々ありますものね。

ましてや、自分以外、に期待したり、依存したって
それは無理なのですよね。

じゃあ、どうしたいいのでしょうか?

私は、もし、今この場で楽になりたいのなら

「今、自分の現状をありのままに見ること」だと思います。
そして、自分の現状をありのままに見たとき
例えば「離婚の危機がある」ということであれば
離婚の危機の中にいる、自分の気持ちはどうなのか?
今の感じていることはどうなのか?

それを受け入れる、というより

見守る、でいいと思います。
ただ、見るのです。
見守っていると、たとえば離婚の危機であったとしても
24時間ずっと人は離婚の危機だから、と言っても
不安だけに支配されたり
恐れだけに怯えたりし続けることは不可能なのだ、ということに

気がつくはずです。

見守っていれば、自分の思いや、感情も
流れて変わっていくことに気がつきます。

もちろん、何度も思っていることや、考えていることは
すぐにまた、勝手にリピートされてきてしまうのですが
それらを「私はこう思っていて、本当に辛い」などと
意味づけもせず

ただ、感じる、そう思っているのだ、と感じて見守っていると
ずっと、思考や思いがその場にべったりと
い続けられないことに気がつくのです。

見守りを続けていると
ふと、楽になる瞬間も訪れていることに
気がつくでしょう。

怒りや恐れ、不安にしがみついていたのは
まさに、自分自身だった、と
我に返ることができれば
怒りや恐れ、不安が自然にやってくることはあっても
それにしがみつくことはなくなり
結果、楽になっていきます。

 

現状をありのままに見て
それに対しての自分の思考や思いを感じること、
さらに、自分の体はそれに対してどう反応しているのか?を
見てみること。

そうすると、
「あ、呼吸が浅くなっているな」
「あ、お腹がキューっとなったな」
「あ、喉が詰まってきたな」

などと気がつきます。

いやですよね。
だから、楽になろう、とするはずです。

どうしたら、自分が楽になるのか?
それは現状について、意見しないこと、
ただ、感じることです。
しがみつかないことです。

難しいかもしれません。が、
やってみてください。

どんな危機であっても
死ぬまでは、生きています。

現状を良し悪し、善悪、損得、で判断せず
あるいは「私が」「自分が」もっと〜だったら、こうだったら、ではなく

今は、こうなんだ

ということをじっくりと感じてみてください。

ずっと怒っていられますか?
ずっと泣いていられますか?
ずっと飲み食いもせずに、イライラできますか?

ずっと同じはできません。
ずっと同じでなくなると、人は楽になります。
隙間ができれば、呼吸もできて
くつろぐことがその場でできます。

これは現実逃避でもなんでもありません。
自分で感じることができたのなら
自然とじゃあ、どうしよう、は
湧いて出てくるでしょう。

湧いてこないなら、その場でくつろげるように
していたらいいだけです。

 

今日は少し長くなりましたが
「私の10年を返せ!」と言わなくていいような
そういう日々を送りたいものです。

我慢をするかしないか?ではなく
自分が現状をありのままに見ることができてるかどうか?
自分で何もせずに他人に見返りを期待していると
我慢してようとしてなかろうと
ろくなことになりませんよ、ということを書きました。



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