自分が毒親だと気がついた時

自分が毒親だった、と気がついた時
親は一体、どうしたらいいのですか?

そのようなお便りがきました。

毒親に育てらた子供のための本はたくさんあるけれど
毒親だ、と気がついた親のための情報が、ない。
どうしたらいいのか、わからない。

わからない。

私にもわかりません。
が、私なりに考えて書きました。

これが正解だ、ともたった一つの答えだ、とも
思っていません。

誰かを傷つける意図で書いてないことをご理解いただいた上で
自己責任でお読みください。

 

毒親とは

毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉ネグレクトなどによる児童虐待によって、一種ののような影響を子供に与えるのこと。「鬼親(おにおや)」ともいう。

毒母の概念

母による同性間ならではの娘への束縛や虐待(分身としての過度な私物化やコントロール、夫婦間の不満や愚痴のはけ口としての利用など)を受けるも、娘は「母性」神話によって母親を悪者に出来ず、又は気付かずに苦しみ自身の人生を生きられなくなるとされる。支配型の毒母の場合、娘の世話を熱心にみることから、周囲からは愛情深い母親の行為として見られたり、母親の愛を得んがために、その期待に沿って猛進するため、社会的には成功する場合もあり、そのため周囲に苦しみを理解されない娘の苦悩はより深い[12]。母を負担に感じる娘の場合、摂食障害といった精神的症状が表れる事例が多いといわれている[13]。(Wikipediaより)

 

毒親という言葉は使っていませんが
外来にやってくる親子を見ていると
親の過干渉によって、子供が繰り返し病気になっているケースを
私自身、診てきました。
親子関係の記事をたくさん書いてきたのも
親の良かれという気持ちも度がすぎると
子供にとっては毒になる、ということをお伝えしてくて
繰り返し書いてきました。

子育てに悩んでおられる方は
こちらにこれまで書いた記事を羅列しておきましたので
全てお読み頂ければ

私の子育てに対するスタンス、
これまで診てきた様々な親子の行く末を見て
現在子育て中の方が、自分のことを振り返るきっかけにしてくだされば
と思います。

女医とも子の診察室 子育てカテゴリー

 

毒親の毒の本質とは

 

子育てて大事なことは
「自分は無条件にここに生きていてもいい」という
自己信頼を得ることだ、と思います。

何ができるから、自分は生きていいる価値がある、のではなく
自分はどうあろうと、安心して生きていて良い。
これを得られることが、まず
成長過程では、最も大事なことだ、と私は考えています。

自己信頼。
それを得るためには、親、特に母親は
何はともあれ、自分の子供を
条件なし、で受け入れることが重要なのですが
それができないために

子供は、親を喜ばせてこそ、親を満足させてこそ
自分はここ(家)にいても大丈夫なのだ、という
思考になります。

それは、結果、社会に出た時にも
「自分が社会に存在するためには、上を常に目指してなければ
いる価値がない」という風に考えるようになり
自分が自分のままで、まずは良いのだ、という自己信頼がないために
精神が不安定になり、結果、様々な体調不良、精神不安をきたす人が
どんどん、増えているのでしょう。 

今回、出版する「心の冷えとり」は
自分が自分のままで、まずは良いのだ、という自己信頼がないために
精神が不安定になり、結果、様々な体調不良、精神不安をきたす人に向けて
書いています。 

思い当たる方は、ぜひお読みくだされば。
生きづらさが改善するきっかけになるはずです。

 

親が不安だから、子供に過剰にいろんなことをするのですが、
親の不安を、子供に押し付けることは
本当に有害だ、ということは
これまでも繰り返し、書いてきました。

子供の様子がおかしい時に問いかけることは
「自分は一体、何がそんなに不安なのか?」という
親自身の自分への問いかけです。

 

記事はたくさんありますので、
女医とも子の診察室 子育てカテゴリー
をお読み下さい。

毒親の毒の本質とは
子供が「私は私のままで、ここに生きていても大丈夫だ」という
自己信頼が得られないことです。

子供は大人になっても、常に不安です。
それは、たとえ医者になろうとも
社長になって、多くの人に認められるような
社会的地位や、お金をたくさん手に入れ
多くの人の役に立っていたとしても

「自分には、まだ何かが足らない」と思い
生きている間中、苦しみます。

「自分は期待に応えなければ、ここにいてはならない」という
罪悪感が、常につきまとうのです。

そして、その罪悪感の根本にあるのが
「私は親に無条件に愛されたことがない」という
深い悲しみ、虚無感です。

それが理解できますか?

この苦しみはその人の表面だけを見ているだけでは
わからないことだと思います。

「私は親に無条件に愛されたことがない」
この絶望は、何かがうまくいっているときはもちろん
何かがうまくいかなかった時には
「やっぱり、自分はダメなんだ」と
繰り返し、襲いかかってくるのです。

誰だって、自分は親に無条件に愛されていた、と
思いたいし、信じたいです。

ですから、毒親に育てられて生きづらくなった時
親のせいにできて「こんな親!いらねーよ」と親から
離れることができれば、まだマシだと思います。

そうではなく、「自分は親に愛されてきた」と信じたいために
親が年を取っても、親の近くに常にいて
親に褒めてもらおう、親に認めてもらおう、と
親の愛を、渇望して、どうしようもなく苦しんでいる人は
親が死んでからも、自分の望みが叶うことなく
子供自身が死ぬまで、苦しむのです。

子供が何歳になろうとも、親が死ぬまで、
親からの無条件の愛を欲しがるのが

子供なのではないでしょうか?
これは一つのヒントだ、と思います。

毒親に育てられた時に
その子供は、一生、「自分は親から愛されてこなかったかもしれない」という
疑いが晴れることはありません。

自分が毒親だ、と気がついた時
親は、まず、このことを自覚することです。

「毒親は、子供に一生、残る傷をつけています。」

 

じゃあ、どうしたらいいのか?

 

毒親である、と気がついたことは
多くの毒親は、自分がまさか毒親だ、なんて思わない、
あるいは、薄々気がついても、しらばっくれてそのままにするケースも
多い中で、

気がついた

ということは、
「ありのままの自分を受け入れるためには」
に書いた、魂からすると

「お、ここで気がついたね」一つ前進しているのは確かなのです。

ただ、ここで陥りがちなのは
毒親だ、と気がついてその事実に驚愕し

「自分(親)が被害者になることで逃げる」ことです。

気持ちはよくよく、わかります。
取り返しがつかない、ということを自分がしてしまった、と気がついた時
誰だって、逃げたくなります。

逃げるのに、良い方法は
自分が弱者になり、被害者になり
逃げる正当な理由を手に入れることです。

逃げれば自分の「影」の部分がせっかくここで
露出して、露わになることで
影が消えるチャンスかもしれなかったのに

逃げて「影」が自分に残ることで
その「影」は「影がありますよ〜」というサインを
病気という形、症状という形で、表現をし続けてくるでしょう。

 

そして、子供の立場から見た時
親に被害者になられた時
子供はどうなりますか?

親が自分でこれまで子供にしてきた毒流しに
どうやら気がついたと思ったら

今度は被害者になって、弱々しくなっている。

これでは、子供がこれまで溜めに溜めてきた心の声、文句、
「なんで私を無条件に愛さないんだ!」という
叫びをぶつけることすら、できなくなりますね。

そして、被害者になった親に対して
子供はさらにまた「自分が親の期待に応えられてないから
親がこうなってしまった」という
罪悪感を、相変わらず生きてる間、さらに感じつづけなければならないのです。

せっかく、自分が毒親だった、と気がついたのに
これでは、親自身も子供自身も、苦しみから抜けることは
ありませんね。

毒親になる人というのは
「自分は完璧な子育てをしていて、間違えることなんて
あるはずがない」と自分を過信しているから
毒を疑いもなく、永遠と流し続けられるのでしょう。

人は誰でも、正しいことばかりするわけもないし
間違えることがあるのが大前提です。

よって、自分自身が大きく誤っていて
しかも取り返しがつかないことをした

と、受け入れられるかどうか?は
毒親だ、と気がついた人にとっては
ものすごく、大きなハードルになるのは
間違えないでしょう。

素直になれるかどうか?です。

そして、素直になり子供自身に
「私が間違えていた」と詫びることができるかどうか?です。

しかも、詫びたことで子供が許してくれて

子供が良い方向に進んでくれて

これで安心できる

期待もせずにです。

 

子育てのゴールとは

 

子育てのゴールとは
金銭的(物理的)、精神的な親からの自立です。

毒親と子供のゴールも同じでしょうけれど
その前に、大きなゴールがあると思います。

それは子供が
「もう、親の期待に応えなくてもいいんだ」と
心から思えることだ、と思います。

そのためにすることは

親子の距離を適切にすることだと思います。
物理的な距離を取ることで
親も子供のことが気にならなくなるし
子供も親の期待に応えなくて済むようになります。

そして大事なことは
親の金銭的な援助について、です。

「自分は自分のままで生きてたらダメだ」と思っている人の中には
親から自立して、社会に出られなくなってしまった人も
大勢いるはずです。

そして、その人自身が被害者になってしまった時
一生、社会に出て、自分で生業を立てたり、労働して
金銭的に自立したり、成熟した人間関係を築けなくなってしまっては
それこそ、本当に気の毒なことになります。

このような状態になってしまうと
その人自身も被害者になるしか、弱者でいるしか
なくなってしまいます。

誰かのせい、何かのせい、にして
「だからしょうがないんだ」と一生言い続け
自主的に、前向きに、自分で歩くことが
できなくなってしまいます。

私は、往診に行っていましたので
たくさんの家庭の姿も見てきました。

中には、80歳代の母親の年金で暮らしている
働かない50代の息子さん、娘さんというケースも
多くありました。

これらの姿は、今後どんどん増加していくだろうことは
最近の40〜50歳代の生活保護受給者が急増していることからも
想像が容易にできます。

毒親が、これらに加担してない、とは全く言い切れません。
あれやれ、これやれ、と親の期待に応え続け
良い高校、良い大学、一流企業に勤めた。
で、「どこまで走りづけたらいいの?」
「どこまで行ったら止まってもいいの?」

そういう大人が、「もう無理だ、全部やめちまえ」と言いたくなる気持ちも
私にはわかります。

 

毒親が金銭的に、子供を援助し続けることにより
子供はずっと親を頼らざるを得なくなったり
あるいは親が「金出してやってるんだから」と
子供に一生、親の言うことを、意見を聞かせているケース
多々あります。

子供にとっては、働けない、友達いない、
親にお金をもらわないといけない、親の言うことを聞くしかない
このような生き方がいい、とは誰も言えないでしょう。

しかも、多くの場合、親が先に死にます。
親が弱った時に、毒親を虐待するケース、逆に
親の死を全く受け入れられず(まだもらってない愛情欲しさに)
医療者や他の何かを恨み、責めつづけるケースも。

どの親でも死ぬまでにすることは
子供に、金銭的(物理的)、精神的な親からの自立をさせることです。

ただし、そのスタイル(結婚しろ、良い会社に勤めろ、
子供を持て、家を持て、車くらい買え、人に役に立てetc.)
に注文を出すこともなく
「どんな形でもいいから、
お前がお前らしく、なるべく健康で、生きててくれたら」
そう、心から訴え続け、自立させてあげることが、
子供が自立してない時に
親が死ぬまでかけてやることがだ、と思います。

これしか、もう、言うことはないでしょう。
だって、本当のことではありませんか?
子供が生まれた時には、誰でもそう、思ったのではないのですか?

 

私自身のこと

私自身、3人の現在小学生の子供を育てています。
そして、私は離婚をしています。

どのような理由であれ
子供にとっては、片親になることは
毒がゼロではないでしょう。

私も悩みました。

離婚したせいで親が片方になり
住みなれた家から出て、
自分好みの壁の色にした子供部屋を使うこともなくなった。

それが子供にとってどんな影響が出ようとも
引き受ける覚悟で日々を暮らしています。

だからと言って別に、肩に力を入れて、
子供に何一つ不自由も寂しい思いもさせず
完璧な親になろう、なんて
微塵も思っていません。

私だって、未熟なのですから。
その代わり、正直に子供にはなんでも話しています。

生身の人間として、苦しいことや、辛いこと
頭にきたこと、失敗したこと、そういう自分の影の部分も
普通に話しています。

それは子供に「だからわかってね」と言いたいのではなく
「お母さんも、まだまだ完璧なんかじゃなく
日々、こうやって生きてます」ということを
知らせるためです。

そういう母親を見て、子供がどう思うのか?は
子供の範疇であり、私が何かを期待したり
逆に、不要に未来を案じて不安になる、こともありません。

そして、子供のどんな思いも聞くようにし
今後、どのような姿を見たとしてもそれによって
落胆することなどないように、心構えをしています。

当たり前ですが、何があっても子供は子供であり
何をしたから子供じゃなくなる、なんてことは
ないのです。

あの子はあの子。
その子はその子。
他に代わりはいませんし、存在自体が尊いのです。

 

毒親はどう生きたらいいのか?

 

毒親自身が、
「過剰に期待に応える生き方を断ち切る勇気を持つ」
ことではないでしょうか?

毒親自身が誰かの何かの期待に応えて生きることをやめ、
自分に素直になって生きること
自分のままの姿に戻ること

それを見せることにより子供が何かを感じて
生き直すきっかけになるかもしれないし
それでどうなるか?はわかりません。

ただ、言えることは
どんな親でも子育てでできることは、
子供に手出し口出しして子供を変えることではなく
自分自身の生き様を子供に見せることしかできないということです。

親の生き様を見た子供が、
どう感じて、どう行動するか?は子供自身の課題であり、
親ですらコントロールすることはできません。

それをコントロールしようとするから
親子とも、おかしなことになるのです。

毒親によって一生の傷を負った子供がその傷をどうするか?は
子供の課題です。

傷があるからこそ、人の痛みがわかるようになる。
傷があるせいで、一生が台無しだ、と諦める。
傷はなかったことにして、蓋して隠して空元気で苦しみ続ける。

今後をどうするか?を決めて、行動するのは
子供自身です。

ただ、毒親自身が被害者になり、逃げて一生を終えるのなら
子供が親から受け取るメッセージは
困ったことがあったら、被害者になって逃げていたらいいんだ、
と言うメッセージでしょう。

 

数年、数十年かけて育ててきた子供を
「はい、じゃああなたも変わっていこうね!」と
急に、数年で取り戻すことができる、と思うのは
親側の勝手な楽天主義でしかないと思います。

数年、数十年かけて毒を持って育ててきたのだから
死ぬまで育て直そう、くらいの気長さと覚悟が必要でしょう。

育て直してどうなるのか?
子供も親のように生き直せるのは親が死んだ後かもしれないし
わからないです。

 

そうは行っても悲観的になる必要もないと私は思います。
生きていると言うことは
「そこから何を学べばいいのか?」の体験の場であり
そこから学びさえすればいいのであって
誰しもが生徒なのだと思います。

親だから立派になろうなんて思わなくて良い
生徒なのだから、教えてもらわないとわからないこともあれば
一回言われたからといって、直せないこともあります。
「親子であっても、クラスメイトくらいの差しかない」
私は思って、子育てをしています。

親だから偉くないと、立派でないとならない。
家族は皆が一緒に笑って暮らせてなければならない。
理想的な〜は、etc.
そう言う過剰な美化させた思い込み
いろんなことを不安にさせている要因の一つでは?と思います。

親子くらいの歳の差なら、クラスメイト。
子供の方が先に大人になる場合だってある。
だからこそ、親は子供の前で素直になり
間違えていたのなら、きちんと詫びて
直す努力をする、また間違えたら、直す、
その繰り返しを、親子共々、していったら
それでいいのではないのかな?
わたしは思います。

 

そして、影を影としないことが大切です。

毒親であるなどの自分の影
引きこもりの子供がいるという家族の影

影を影だと位置付けて隠そうとするから
苦しくなるのです。

毒親である
引きこもった子供がいる
事実は事実としてそこにあるまでです。

そこからじゃあ、どうしようか?を
日々やることしか、私たちにはできません。

生きるのは生々しいことであり
それは家族であっても同じことです。
子供は育てば親に言えないようなこともするようになるでしょうし
大人になれば離婚したり、借金をしたり、破産したり、事故にあったり
予想外のことだって経験する場合もあるでしょう。

それをどう捉えて、学ぶか?が大事であって

世の中で「マイナスだ」と位置付けられているものを
「マイナスだ」と影にするから
苦しくなり、
隠そうとすればするほど、他のところから
サインが出てきます。

それが病気であったり、症状であったり
同じように失敗する人間関係だったり
同じようにうまくいかない仕事だったりです。

影を影だ、とせずに
ただ、そうなのだ、とまずは表に露出すれば
影から出てくるサインに苦しむことは少なくとも無くなります。

そうしたら、そこから日々を
淡々と、頑張るしか、ないではありませんか?

生きることはドラマより生々しいことで
死ぬまでそれは続くのです。

人生、短いです。
そんな完璧になれるはず、ないのです。
完璧になる必要なんてなく
自分は自分なのだ、と受け止め
今日できることを、まずは一生懸命やるだけ

結果を、子供を、周りを、
私が、親が、大人がコントロールできると思うことが
間違えなのだ、と思います。

そんな立派な人なんていませんし
「もうダメだ」と視野が狭くなった時こそ

思い出して欲しいのは
私たちは学ぶことがあって、経験することがあって
生まれてきているのだから、
「生きているうちに学べることを学べばいい」と
視野を遠くへ伸ばすことです。

視野がここ、しかなくなると
短絡的に、悲観的に、考えすぎて

良いことは起こりません。

誰でも、未熟なのですから
素直になり、じゃあ、どうしていこうか?を
自分に戻り、していくことだけ、です。

私は親に育てられた、
親もまたその親に育てられた、
その親もまた、その親に育てられた。
育ちは、連鎖です。
自分だけを責めないこともまた、大事なことです。

子供の不調は、それを教えてくれているのかもしれません。
「私が苦しい連鎖をここで止めるのだ」
その勇気を持てるかどうか?



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