自分を過信しなくなったらやる気が出た

自分に過信をしなくなるとスゴく楽になります。
自分を過信していると、辛さがつづきますし、成長もしなくなり
カラカラと空回りばかりしてしまいます。

自分を過信するって、どんなことなのか
私は、気がついていませんでした。

これが、自分を過信してるってことか!と
分かったので、今日はその話をしていきます。

 

できる、すごい!とどこかで思っていた

 

私が本当におバカだな、と思ったのはある人から
こう、言われたときでした。

「他人から、すごいって言われて、自分のことをすごいって
思えることが、すごいですね」

これの意味がわかりますか?

私は、他人から「女医さんで、すごいですね」とか
「子どもを3人も育てていて、すごいですね」と
言われていたので、
「私は、すごいんだ」と思って
すごいフリをして、すごさを維持しなければいけない、と思って
それで、とても苦しんできました。

バカですよね。w

他人からすごいって言われて、
「私ってすごいんだ、すごくないとダメだ」と
思うことが、恥ずかしいですね。

でも、わたしは、恥ずかしいことだ、なんて
気がつきませんでしたし、むしろ必死でした。

自分が思う「わたし」と、他人から言われる「わたし」の差が大きすぎて
いつも、プレッシャーでした。

他人からの言われる「すごい!」の期待に応えなければならない!
本気で思っていました。

 

でも。

よくよく、考えてみてください。

「すごい」とか「偉い」とか、って
その人の実力や、結果を伴ってあることであって
ただ、他人にすごい!えらい!と言われて
「私は、そうなんだ」と思うって
どれだけ私は自分のことを過信してきたのだ!!と気がついた時
穴があったら、隠れたかったです。

 

上には上がいる

 

さらに言えば、「女医さんですごいですね」っていうことも
それを鵜呑みにして相当バカでしたが、
これについても、医師で素晴らしい方は大勢いるのです。

冷静になってみたらわかるのですが、
自分を過信していると、自分に不利になりそうな情報は
見ないようになるのですよね。

日々を、人々の健康のために研究や手術、救命救急のために
身を削って努力され続けたり、
あるいは、海外に留学して新しい発見をしようと、
努力されている方。

医師だけの世界で見ても、そうなのです。

医師の枠をはずしてみたら、
すごい人は、もっともっと当たり前に大勢います。
実力をともない、結果をだし、あるいは
人間性についても、素晴らしいひとは、大勢います。

 

わたしは、いったい、何をもって自分のことを「すごい!」って
思っていたのか?

本当に恥ずかしいです。

上には上がいるし、井の中の蛙でいると
それすら、忘れてしまうものなのだな、ということです。

 

自分を過信してきたんだな、と気がついてから

 

「ああ、私は自分を随分と、過信してきたのだな」と
気がついてから、

私は非常に楽になりました。

「私って、バカだな」
「私って、ほんと、たいしたことないな」

と、心から納得をしたのです。

そうすると、不思議と初めて
地に足が本当についた感じがしたのです。

安堵に似た気持ちです。

 

自分の今の実力だとか、能力、人間性を
客観的にみることができたとき、
「ああ、なんだ、そうだったんだ」と
安堵したのです。

落ち込みはありませんでした。

むしろ、「今まで過信してきて実力も、能力も、人間性も
伴ってなかったのだから
頑張りたいし、頑張りがいがあるじゃないか!」

思えたのです。

練習で相手のふところを借りる、ということがありますが、
これからは、ふところを借りるつもりで
頑張れるんだな、と思ったのです。

わたしは、今まで「すごい風」を装ったり
「ボロが出ないように」だったり
「相手の期待外れにならないように」だったり
本当の自分の行き先が見えてなかったのですね。

ただ、「すごく見えるように」取り繕うためだけに、日々を費やして
エネルギーをそこに使っていて、
そして、狭い場所に居続けて
その中での自分しか、見てこなかったです。

狭い世界で、随分と長い間、停滞してきました。

今度は、素っ裸になって
ふところに当たっていける。

これは、とても爽快だし、試せるし、気持ちもあがります。
「私は大したことないのだから、まずはやるのだ」
それだけになったのです。

とても楽になりました。

ゼロ地点にやっと、わたしがたどり着けたのは
「私は、自分のことを随分と過信して、過信をごまかすために
時間もエネルギーも、もったいないことをしたな」

わかったからです。

恥ずかしいです。
でも、仕方がありません、事実でしたから。

 

コンプレックス歓迎!

 

自分を過信してきたのは、コンプレックスを隠すため、
自分を守るためでもあったのかもしれません。

過去から今までのコンプレックスを書き出してみたのです。

ざっと書いただけで、300個くらい書けました。
「ああ、随分、ひどい人間だ」と笑えました。
「完全、こじらせてるわ」と苦笑です。

 

けれども、不思議とわたしは悲しいとか、嫌だとか、怒りとか、
湧いてきませんでした。

よくもまあ、これだけコンプレックスを抱えながら
「自分なりにはがんばってきたよね」と思ったのです。

けれども、これからは「自分なりに」は置いておいて
教わったり、学んだことを、素直にやってみよう、と思ったのです。

教わったことや、学んだことを素直にやることは
自分らしさを捨てるのではありません。

より、自分らしく、素直に生きるためには
せっかく気がついたことは、実践しなきゃ、意味ないな、と
思ったのです。

コンプレックスまみれで、自分を過信して停滞してきた分、
今度は、素っ裸で体当たり。

わたしは、素っ裸で体当たりをしていこう!と
すごくやる気が出てきました。w

よいではないか!と思います。
生きてさえいたら、いつからでも
人はやれます。

人は過信することをやめたとき
初めて、エンジンがかかるのかもしれません。



*************************
内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

女医とも子物語

**************************
2000人が登録しているメルマガ

【メルマガ 女医とも子の40000人を指導してきてわかった本当の健康の話を読む】

無料メルマガ「女医とも子の40000人を指導してきてわかった本当の健康の話」では
健康や、心のこと、日々の暮らしがどうしたら楽になるのか?
あるいは、人間関係について、子育てについて、
深く掘っていきます。
まずは自分を観察し「生き方の癖」を発見したり
「抑圧してきたものたち」に気がついたり、
「自分の内側から良くなる力が湧いてくる」ようなものになっています。
心と身体は別々ではありません。
自分の心を見ることなしに
他人や世間の目ばかり気にして見ていたのでは、
抑圧された心のひずみは身体に表れたり、
「まったく自分の思い通りにはならない日々」が続きます。
まずは自分を振り返る。
これまで見て見ぬ振りをしてきた自分を慈しむためのメルマガです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です