思い通りに生きることを邪魔する奴。

どうして何も悪いことをしていないのに
私は、思い通りに生きられないのでしょうか?

良い人が現れてそこから助け出してもらえる日は
来ないのでしょうか?

 

悪いことばかりが起こる

 

「自分だけに悪いことばかりが起こる」
そう、思ってしまっている人は、多いのではないでしょうか?

あの人は、努力もしてないのに
良い思いばっかりして、ズルい。

あの人は、人の悪口ばっかり言ってるくせに
人気があって、ズルい。

あの人は、ろくに働きもせずに
良い暮らしができていて、ズルい。

あの人は、美人でもなんでもないくせに
幸せな結婚をしていて、ズルい。

それに比べて、私は??

私は、どうして何も悪いことをしていないのに
「私が望む幸せな形」にたどり着けないの?

どうして私だけが、いつもいつも
不幸なの?

という、意識が、自分の行きたい方向へ行くことから
遠ざけています。

 

悪いことばかり起こるのはそこに居続けるから

 

人は、行動をしなければその状況の中に居続けることになります。
「辛い辛い」と言いながら、その場所に留まり
とりあえず現状維持をしようとすれば、「辛い」はそのまんまでしょう。

私は、今、仕事がとても楽しいです。
様々な患者さんがいらっしゃるので、私は選ぶことはありませんが、
どんな方がいらしても、大丈夫だ、と思って
診療をしています。

でも、私は、かつて、人のせいにして
「なんで私ばっかり、この役目をしないといけないの?」と
思っていました。

「どうして、私が、こういう想いをしないとならないの?わからない。」と
思っていました。

自分ばっかり、損をしているような、そんな気持ちで仕事をしていました。

「できることなら、話が通じる患者さんに来てもらいたい」と
思っていました。

そう、思っているから、「話が通じない患者さん」が私の前にいらしたのでしょう。

「なるべく、嫌な想いはしたくない」と思っているので、
誰かの少しの言葉や、態度によって、すぐに傷ついたりして
仕事が終わっても、ずっとそれを引きずり、
日常全体が、嫌な気持ちで覆われてしまうことが多かったのです。

私は、後ろを向いていたのです。
「私のせいじゃない」「私が悪いんじゃない」と、
後ろ向きで、逃げの体勢で、仕事に取り組んでいたのですね。

一方で、私は「こういう診療をしたい」という自分の理想を
捨てませんでした。

「だけど、〇〇のせいで、それができない」と言い訳をしていました。

ある時、私は、自分の人生の時間の多くを費やす仕事について
そのような態度で、「〇〇のせい」にして
後ろ向きでいたのでは、もったいないな、と思ったのです。

「私は、わたしを活かしてやらないといけない」

そう、思ったのです。
それをさせてあげられるのは、自分だけだ、と。

なので、わたしは職場を変えました。
自分がシンプルに、仕事ができる環境を選びました。
シンプルに、というのは「患者さんと向き合えさえできればいい」ということです。

「患者さんと対面して話をするだけで良い」ところに場所を変えて、
これだけをするようになってから、
わたしは仕事について前向きになりました。

何が起こっても、わたしにできる最善を尽くしさえしたらいい。

あとは、自分だけで抱え込まずに
危なそうな場面では、周りの人にも協力を素直に求めるようになりました。

最初から、「わたしには無理だよ、なんでわたしばっかり!?
誰か、ほかの人がやってくれればいいのに」
そういう気持ちは、今は無くなりました。

そういう気持ちがなくなったから、なのか、
前向きになったから、なのか、わかりませんが、
悪いことは起こらなくなりました。

 

被害者意識と依存

 

わたしは自分の変化を見ていて感じたことは
「わたしは何も悪いことをしていないのに」という
被害者意識が、自分を後ろ向きにさせ

さらに、「そんな私を、誰か助けてください」という
他者への依存

自分に悪いことばかり起こすように仕向け
そして、自分が本当に思う方向へ進む行動を
起こさせない、ストッパーになっていたのだ、と
思いました。

つまり、自分自身が思うように生きることを妨げていたのは
自分以外の誰かの、何かのせい、ではなくて
私の被害者意識と他者への依存という
2つの点だったということです。

 

悪いことばかり起こっていたら
誰かから同情をして助けてもらえるかもしれない。

「かわいそうだから、助けましょう」と言ってもらえるかもしれない。
「誰かが、どうにかしてくれるのではないか?」

そんな気持ちが、無意識にあったのだ、と思っています。

「自分で、これをどうにかしよう」
そういう気概がなかったのだな、と。

そして、それを乗り越えるには
自分自身の、そういう体質、思考のクセに気がつき
いやでも、「私は被害者意識を持ちながら他人に依存しようとしているのだ」
ということから目をそらない
ことなのだ、と思いました。

 

いじけていると何も変わらない。

 

久しぶりに会う人から
「なんか雰囲気が変わって話しやすくなりましたね」と
嬉しい言葉をいただくことが増えました。

それはきっと、ある部分が変化したからなのだと思います。

「私ばっかりに悪いことが起こって、あの人はそれに比べて」

のような気持ちでいると、それはオーラとして
ばら撒かれるのですね。

ちょっと仲良くすると、すぐに依存してくる。
本当のことを言えば、すぐに、プイッと機嫌を損ねる。

被害者意識が強くて、依存的な人の特徴です。

私は、まさに、そういう人でした。

プイッと機嫌を損ねても可愛いいのは
小学生くらいまで、でしょう。

大人が、すぐにプイッと不機嫌になると
周りの人はうんざりして、
もう、この人とはあまり関わらないほうがいいな、と
思うものです。

いじけた大人は、人からも遠ざけられ
そして自分の思い通りになんて、何一つならないのです。

そして、自分の思い通りにさせてやってないのは
まぎれもない自分でした。

「自分の性格は直らないから」
「私は、こうやってこれまで生きてきたんだから」という
怒りのような、自己防衛があると
確かに、変化をするのはむずかしいです。

でも、私は
「私、このままじゃ嫌だな」と
心から思ったのです。

生きてるのに、怒ってイライラしてばっかり、
そして自分の思い通りに何も行かない。
我慢や辛抱の上に何かが成り立っているのを
下から支える役目が美学な、価値観。

これ、もう、嫌だわ。

そう、心から思ったので、
自分の良くない面から目をそらさないで
「そういうやり方は、もう、やめたほうがいいよ」と
自分自身にを「育て直しました」。w

本当に「育て直した」という言葉がぴったりで
大人でも、急にじゃあ、変わりましょう!と言われて
はい!わかりました!
はい、できました!変わりました!!

そんなことは、ありません。
「こういう風に変わっていこう」と決めてから
行ったり来たり、しながらも、すこ〜しづつ、すこ〜しづつ、
変化していくのです。

悪い癖が、またすぐに、出ます。
でも、「悪い癖がまた、出たな」と分かっていれば
同じ地点まで、戻ってしまうことは、なくなります。

いじけた自分から、素直な自分に変化した結果
私は、仕事がとても楽しくなり、充実し
「私にしか、できないことをしている」と自己満足をしています。

自己満足でいいのです。
まずは、そこがなければ、よりよくなんてなれませんから。

 

被害者意識をやめてよかったこと

「私ばっかり」がなくなったのと
「誰かにしてもらわないと」という依存がなくなり
「私がやろう」と思えることです。

私がやれば、進まないことはありません。
思い通りにすぐは行かなくても
思った方向へ進んでいるのだ、という実感があります。

それを「〇〇のせい」にして
「かわいそうな私」「寂しい私」の衣装を着て
舞台に佇んでいるだけでは
何も変わらずに、ずっとそのままなのです。

そんな姿で舞台に立っていても
誰も近づいて来てくれません。

「誰かが、してくれないかな?」と期待して
待ちの姿勢でしびれを切らしたり、
誰かが何かしてくれても、
「それはそうじゃない!」というストレスもありません。

いつまで立っても、何も変わらないまま
歳ばっかりとっている、という焦りもありません。

勇気がいることですが、
自分がどんな衣装を着て、舞台に立っているのか?
あるいは、舞台にすら立たずに、客席で
誰かの人生を眺めてああだ、こうだ、言っているだけなのか?

まずはそれを客観的に見てみることなしに
「自分が思う方向へ歩き始める」ことは
できないのだな、と今になって思います。



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