「お金が欲しい」ならこうすればいい。

「お金って本来はやりたいことをするために、使うものなんじゃないの?」

12歳の長男がこう、言いました。

「お金が欲しい、お金がない、って言ってるひとは

お金があってもやりたいことがなさそうな顔をしているんだよね」と。

テレビで、宝くじ売り場に並ぶ人のインタビューを観ていて

そう、感じたらしい。

「お金って本来はやりたいことをするために、使うものなんじゃないの?」と。

12歳にしてすでにお金の本質を感覚的に分かっている!

スゴい感性だな、と親バカ心をくすぐられました。

 

やりたいことがあるからお金が手元にくる。

これはそうなんだ、と思います。

私がそうです。

いろんなひとをみていて、私のことも眺めてみて

「必要な分はもう、ある」のです。

その「必要な」が人によって違うから、入ってきたり、そこにあるお金の額が

違う。

日々、生活することだけに追われ、他のことを考えることはムダだ!と

ただ目の前のことをどうにかやりくりするのに追われていたら

今よりお金が増えることはあまり、ないでしょう。

突発的に、得られることはあっても、それは「いつもの」「普通の」状態ではなく

あくまで「事故的に」お金が入ってきたまで。

 

「これをやりたい。これ欲しい。」こっちが先

しかも、その「やりたい」「欲しい」理由は、自分の本当の気持ちでなければ

お金は動かないでしょう。

「これやれば得する」「これやれば評価上がる」「これ持ってたらなんか、良さげにみられる」

そういう他人目線だとか、心からやりたい!ではない欲求だと

何かが弱いのでしょう。

 

たとえば、私は「やりたいな」と思えばある分を使います。

「これは貯金にまわしておかなければ自分の老後だ、子どもの将来が不安」

そういうものより「今やりたいことをやる」方が大事だからです。

将来に備えて、貯金が目標になり、溜め込んでいると

「いつかそれを使うとき」に自分がどうなっているのか

想像をしたことがありますか?

「将来のために、今は辛抱我慢、そのうちご褒美がくるから」

これはとても怖い思想だな、と思います。

今が、頭と心と身体が使える一番若い日、若い時間、一番働く時間です。

その時に、めいいっぱい使わずに、未来の十分に歳をとり衰えた自分のために

「今使えるお金をつかってやりたいことをやらない」ことのリスクというか

それは事実なのですが、

「福祉施設に入るための費用」になったりするのは、あながち嘘ではないですね。

 

「欲しい」があれば、たとえば今手元にある額では足らないものであっても

頭金は払ってしまいます。(借金はしてまでやりません)

というのは、本当にやりたい、本当に必要で欲しい、からそうするのであって

「後からどうにかなる」と分かっているからです。

なので、先取りをします。

 

お金は自分で労働しないと得られるはずがない!?

そういう風に自分で決定している人は

どこかで自分の毎月の稼ぐ額に縛り付けられ

その額からやりたいことを見つけるので、それ以上にお金は増えることはないし

「お金が欲しい、お金があったらやりたい」

それが叶うことはないでしょう。

無意識に、自分の稼げる額によって、「やりたいこと」は制限されているからです。

 

お金はどういう形で巡ってきてもいい

それが納得できていると、わからないもので

「税金が戻ってきた」り、「国から○○手当」が出たり

生命保険の積み立て金があったことを思い出したり

忘れていた通帳があったり、誰かからお金をいただけたり

まあ、いろいろ、あるのです、お金が巡ってくる方法は、

自分の頭で考えているうちは、結局は「やりたいこと」も制限するので

ずっとその囲いから出ることができません。

 

まとめ

今日は長男のつぶやきから、刺激をうけて

「お金が欲しい」の本当を書きました。

「お金が欲しい、お金が欲しい」と「お金を得たい」ところが目標になると

結局お金はこちらには来ません。

「やりたいことをやるためにお金が必要だ」にならないと

お金は手元にはきませんし、

そして「やることをやるためにお金がめぐる」ので結果手元にお金が

いつもたくさん残っていることはないのでしょう。



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