何をやっても上手くいかない人へ

何をやっても上手くいかないのは
能力とかセンスの問題ではなくて
「行動をする動機が
素直な自分の欲求に従っているかどうか?」によるのだと
思うのです。

 

素直な自分の欲求に従わない行動とは?

 

例を挙げてみると
「夫が全く自分を理解しようとしてくれないので
憂さ晴らしのために
自分で働いてお金を貯めて旅行に行こう」とします。

すると、仕事をする理由も
生きるためのお金がないなどの
必死さで働くのではないので
仕事する覚悟も違うわけです。

憂さ晴らしの旅に行こうとお金を貯めるために
面倒な人付き合いもするようだし
苦手なお客さんが来るし
不得手な作業を任されるし
立ちっぱなしで疲れるし
神経は使うし
一日中、働いて帰ってからまた、今度は
家事をしなければいけないし。

疲れ果てて家に帰れば
自分を理解しようとしない夫がいて
「私がこんなに我慢して仕事してるのに」
さっさとやることをやらない子供がウロウロしている。

ああ、もう、どうしたらいいの!!と、
寝るときにも血が頭に登っていて
どうすることもできません。

それでも、お金が貯まったので旅行に行くことにしました。
結局、旅に行ってる時もどうしても行きたかった旅ではないので
家のことが気になって落ち着かず、
「ああ、帰ったらまた、現実が待っている」と
何も変化のない現実が待っていることによって
旅を思い切り楽しむこともできない。

ということになります。

 

 

素直に自分の欲求に従って行動するとは?

 

本来、上の例え話の人の素直な欲求は
「夫に自分のことをもっと理解してもらいたい」ということです。

自分以外の人のことは変えられないので
自分が行動するしかありません。

なので、自分でできる行動としては
夫が聞く耳を持つように感情的にならずに
こちら側が心を開いて
諦めないで話をするしかない、のですね。
夫が心を開いて
自分のことをわかろうとするまで、
続けていく、しかないです。

それでも、夫が聞く耳を持たず、
理解を示そうともしないのなら、
自分ができることは
「夫とは生きられないので、別れる」

素直な欲求に従うというと
自分から理解を得るために働きかけ続ける、
それでも叶わないのなら
一緒に生きることをやめる、という行動になります。

自分の欲求に従って、自分が納得して行動をしていれば
本気でそこに取り組むので
結果がどうなるにせよ
納得がいきます。

諦めずに、自分が納得をするまでやるだろうし
ここまでだ、と思えば清々しい気持ちで
区切りをつけることもできます。

納得がいくと、人は変化すること恐れません。
自分は変わっていけるし
自分はどこにいっても決めてやるだけだから
大丈夫だ、という自己信頼を得られるようになります。

自己信頼がある人は
失敗という概念がなくなります。
上手くいかなかったら、またそこで学び
次に活かせばいい、と思えるからです。

 

そうはいってもそう、簡単にいくわけない!!

 

そんな簡単にできるわけない!!と
怒る人がいます。

当然なのです。

自分の素直な欲求を叶えるために行動するということは
紙の表を裏に返すように
一瞬で、パッとに簡単には済みません。

時間もかかれば、エネルギーだって使うし
自分の責任だし
他人からはあれこれ言われるかもしれない。

けれども、自分の欲求に従って生きるというのは
時間もかかるし
エネルギーも使うし
自分の責任である、
ということです。

それだけ真摯に自分にまずは生きるからこそ
初めて物事は上手く流れ出すのだ、と私は
思っています。

 

他人の目を気にしたり
他人によって植え付けられた価値観を
何の疑問も持たずに植え付けられたままにし
何の知識も取り入れず
学ばず
役目、役割、立場を見て単に流されているだけでは
本来の自分の欲求を満たすことはできません。

他人からは何も言われないし
だからと言って誰も自分のことは見てないし
親身になって話を聞いてくれて納得のいく答えは出してくれないし
それでも当たり障りないことをしていれば
時間はただ、流れて行くし
エネルギーも消耗して何となく頑張っている気がします。

けれども
自分の素直な欲求に従わない行動を
続けることで得られるものは何でしょう?

自分の素直な欲求に従わない行動を
続けることで失うものは何でしょう?

 

「私だってやってるんだから!」という怒りで
仕事をしているところを見せつけたり

「私だって見返してやれるんだから!」と
怒りで新しく何かを得て見返そうとしたり

「私だって、認めさせてやれるんだから!」と
怒りで承認を得ようとしても
何一つ、上手くいかないでしょう。

なぜならば、元々の自分の素直な欲求を
解決しようと自分自身が真摯に取り組まないからです。

本来の欲求に従って行動しないことによって
ストレスは溜まり、心身の健康を害し
そして、やることなすこと
「心を込められない」ので上手くいかず
結果、成果も何も得ることができない、
全てが不満な状態に終わります。

「自分と向き合ってはいるのですが」と
自分に向き合うだけで、
行動しなければ流されていることと同じです。

もし、何をやっても中途半端で上手くいかないばかりか
イライラばかりして、疲れるだけで
怒ってばっかりで、何が楽しいのかもわからない、
そういう状態にあるのなら
自分が選んでいるその、行動は
一体、どこ発なのかどうか?
行動の動機の出所を、探ることだと思います。

 

行動の動機が
自分の素直な欲求にきちんと真摯に応えるためのものなのか?

あるいは行動の動機が
誰かに見せ付けたり
誰かと競争したり
誰かに見返ししたり
誰かより優位に立つために

「自分以外のものをどうにかさせるため」の行動なのか?
「自分を本来の欲求から目を逸らすため」の行動なのか?

怒りや競争心、自己顕示欲を満たすためなど
不純な動機から始まった行動は
上手くいくはずがありません。

 

「自分らしく生きたい」というのならば
自分の素直な欲求にきちんと真摯に応える
ことを真剣に考えなければ
「自分らしい生き方」はできないばかりか
心身を害し、不満だらけで被害者意識だけが残り
終わるように思います。

誰のせい、何もせいでもありません。
生き方は自分が創るものだ、と思います。



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