赤ちゃんのバブバブ語を無視し続けた先にあるものは

電車に乗っていたら、赤ちゃんが嬉しそうに
「ぶぶぶー バッバッバ」と声を上げていました。

私は思わず、反応して嬉しくなってそちらを見ると
お母さんは何やら、手帳を読むのに夢中で
赤ちゃんのバブバブ語は無視です。

赤ちゃんは、そのうちに足をバタバタし始めて
ぐずり始めました。

人は生まれながらに自分の気持ちを分かち合って
喜びを感じたい生き物だ、と思っています。

「赤ちゃんのバブバブ語は単なる音で、何言ってるかわかんない」と
言葉を話すまで、無視し続けることは
どれだけのストレスを子供に与えるのかな?と思います。

逆に、赤ちゃんのバブバブ語を「言葉だ」と認識して
親がわかろうとしてあげる、それに反応してあげる、
汲み取ろうとしてあげる、そのような姿勢を親は持ち続けたら
子供は「人に自分の気持ちを伝える」喜びを知り
分かち合う、喜びを知るでしょう。

自分と自分以外の人との信頼関係を築く基礎が
赤ちゃんの時からもう、始まっているのではないのかな?と
思います。

 

赤ちゃんのバブバブ語

 

赤ちゃんのバブバブ語はまさに
「自分の今の気持ち」を表現しています。

「お母さん、見て!」
「お母さん、眩しいよ!」
「お母さん、おもしろい音が出せたよ!」

そうやって、赤ちゃんは起きている間中
いろんなことを、伝えようとしています。

せっかく表現していることを無視され続けたらどうでしょう?

「お母さんは何もわかってくれない」
「お母さんは自分に関心を持ってくれない」

「大人は言葉という音でお互いに会話をしているのに
自分の音は何の役目も果たさない!!」

赤ちゃんは、相当ストレスを感じるでしょう。

一体、どうしたら自分の言いたいことが伝わるのか?と
泣くしかないのです。

 

反対に、バブバブ語を話す赤ちゃんと会話を楽しむお母さんがいます。
私も3人の子供の発する言葉(音)を無視したことはありません。

赤ちゃんの視点で世の中を見ると
気がつくことが沢山あります。
赤ちゃんの視点で、改めて見ると新鮮なことだらけです。

そういう時期を一緒に体験できないのは
とても勿体無いと思います。

バブバブ語で何を見て、何を言いたいのかな?と
想像しながら、
「お外が眩しいね」
「ゆらゆら、揺れてるね」
「変な音がお口から出るね」
と、赤ちゃんが言いたそうなことを想像して
言葉に直してあげるのです。

赤ちゃんは、それが100%正解じゃなくても
お母さんと会話が成り立っているらしい!ということに
ものすごく喜びと満足感を感じて安心します。

赤ちゃんは「自分の伝えたいことはこうして言葉(音)に出せば
わかってもらえるんだ!」と自分と自分以外の人を
信頼するようになるでしょう。

 

バブバブ語とその後の人間不信

 

バブバブ語を単なる音で意味もないし
いちいち相手なんてしてらんない、という人の方が多いと思います。

赤ちゃんの新しい発見に、忙しくて何も興味を持たない人たちです。
そんなことより
いつ、どんなワクチンを打っておけばいいのか?
いつから、どんな習い事をさせておけばいいのか?
お金をいくら貯金しておけばいいのか?etc.

そんなことばかりの情報を集めることに必死で
目の前の赤ちゃんに関心を示さない人たちです。

乳母車を押しながら携帯なんか見ながら適当に
赤ちゃんの相手をしているお母さんは、
子供が少し、大人の言葉を理解するようになると
今度は親の言いたいことばかりを押し付けて
それを分からせようとします。

「汚しちゃダメ!」
「そっち行ったらだめ!」
「落としたらダメ!」
「なんでうるさくするの!!」

赤ちゃんや子供の言葉は理解しようとしないくせに
親の言葉を少し理解するようになったらしい、とわかると
いきなり今度は、親の言いたいことばかりを
子供に押し付けて、いうことを聞かせようとします。

おかしいのは、
「イヤイヤ期」なんて名前をつけて
まるで子供はワガママを言いだして親は迷惑、みたいな
そんな態度なことです。

滑稽だな、と思います。

親が散々、赤ちゃんの頃からバブバブ語を無視し、
赤ちゃんに日々無関心というストレスを与えてきて
やっと赤ちゃんも自分の片言の言葉が少しは親に伝わるようになった、と
思って、意思表示をして見たら
今度は「イヤイヤ期」だと迷惑がられるのですから。

イヤイヤ期を乗り越えるべく
親は、必死に親の権限によって
黙らせる、言うことを聞かせようとします。

バブバブ語も無視され、片言の言葉も抑圧され
子どもはストレスは溜まるばかりです。

そのような子供たちは幼稚園に上がる頃には、
自分が生まれてから、理解をしようとして聞き取ろうという姿勢を見せない
身近な大人たちのことを
一体どう言う感情を持つのだろう?と
想像してしまいます。

自分をないがしろにし続ける大人を
子供は信頼できるでしょうか?
安心できる相手でしょうか?
どこに子供は自分の気持ちを話せばいいのでしょうか?
誰が一体、わかってくれるのでしょうか?

 

一方で、バブバブ語を無視されずに親がいちいち
翻訳をしてくれて、語彙を沢山浴び続けてきた子供は
言葉を話し始めたら一気にたくさんの言葉を
操るようになります。

脳内には、親は訳してくれたバブバブ語の正しい言葉が
沢山、積もっているからです。

親も、子供が話す言葉を余計に理解しやすいですし
子供は親の言うことも聞くことができます。
(親の言いなりになる、ではありません)

すでにこの年齢で親子のコミュニケーションによって構築されてきた
信頼関係には
バブバブ語を無視され続けてきた子どもと
バブバブ語を拾ってもらえてきた子どもでは
大きな差が開いているでしょう。

当たり前ですが
人は、自分のことを、わかってもらいたいです。

赤ちゃんだけ、子供だけではありません。
脳の血管障害などで言語障害が出てしまった成人の患者さんでも、
自分の言いたいことが相手に伝わらないことに
ものすごいストレスを感じます。

言語障害というのは、本当に辛いことです。
当たり前のことが、なかなか伝わらない切なさ、苛立ちです。

「わかってもらえない」と言うこと
「伝わらない」と言うことは
人間不信を生むのです。

 

人間不信になると

 

自分のことは、わかってもらえない。
どうせ、言っても聞いてもらえないから無駄だ。

そうなってしまうと、大人になっても生きづらいでしょう。

言葉は話せるけど「自分の気持ちを伝えられない」のです。

乾いた感情のこもらない言葉、事務的、必要最低限のことだけしか
他人には伝えることができない人が
ものすごく増えていると思います。

他人に合わせてしか、話ができないのも
同じ原因だと思います。

結局、自分はわかってもらえない存在なのだ、という
自分への不信と、他人への不信です。

せっかく人として生まれ、分かち合う喜びを得ることもできるのに
言葉を単なる事務的な用事や、必要最低限しか
使えない、
肝心な自分の気持ちを相手に伝えて分かち合う喜びを
体験できないのはもったいないことです。

人間を信頼する、自分を信頼する、ということの始まりは、
赤ちゃんのバブバブ語に対して、周りの大人がどう、反応してきたか?
すでに、そこから始まっているのだろう、と
今日、電車の中で、嬉しそうにバブバブ語を話す赤ちゃんと
それを全く無視し続けるお母さん、を見ていて
思ったことでした。

子育ては大変。
そんなことは当たり前のことであって
便利な世の中に慣れすぎてしまうと
「子育てはコストが悪い」なんていうことを言う人もいました。

コスト?

笑えます。

人を育てるということを
世の中の便利なものたちと同列にして比較するとは
もはや生き物として我々は、おしまいも近いのかもな、なんて
私は思いました。

いろんな人が共存するのが世の中であって
どんな世の中であっても
たくましく生き延びる子供が育てばいいな、と思います。

そのためには、自分を、そして人を信頼できる人間であることが
まず、大事ですね。



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