心が窮屈さを感じる時には

「心もカラダも揺れるようにできている」
という記事には、

心やカラダが揺れるのは安全装置である、というようなことを
書きました。

でも、その中で、
「心がとても窮屈さを感じていることが多い」場合には

一体、どうしたらその窮屈さから
抜け出すことができるのか?を
今日は書いてみます。

 

心が窮屈なのは「不安」があるから

 

心が窮屈さを感じる時
そこにあるのは「不安」です。

一体、自分は何を不安に思っているのか?を
感じてみましょう。

どこの領域を避けようとしていますか?

あなたは、
何に対して「低級だ」と感じていますか?
何に対して「汚い」と思っていますか?
何に対して「卑劣だ」と感じていますか?

具体的に、書き出してみましょう。
そして、
「私は、〜の領域から目を逸らそうとしている」という
事実を、まずは正直になって意識してみるのです。

意識すれば、またその避けたい領域から
逃げたくなるかもしれません。

が、もし、心の窮屈さから解放されたいのなら
避けたい領域に自分の身を置き
向き合ってみることです。

 

避けようとしている領域を取り入れる

 

私ごとですが、
私は職業柄「間違えたらいけない」「間違えるのは低級だ」と
ある部分でとても思い込んでいました。

そのために、診療でも
相手のためより、まずは
「自分が間違えて恥をかかないようにするために」
常に患者さんと向き合う時には
緊張を過剰にしていた時期がありました。

「間違えるのは、医者として低級だ」

もちろん、間違えて命に関わる事態になれば
いけないことです。

が、医者も間違えることもあるし
聞き取りが甘く、患者さんの意図をきちんと把握できないことも
あるのです。

私は、「間違えたらいけない」というプライドと
向き合いました。

そして、「間違えたら真摯にそれを受け入れ
次回からそのようなことがないようにする」という風に
考えるようになりました。

その結果、患者さんから身を守るために
自分の心を閉ざすのではなく
患者さんが話をしやすいように
私がまず、心を開いて患者さんの前に座るようになりました。

結果、お互いのコミュニケーションがスムーズになるので
間違えや、取り違えが、返って減りました。
緊張もなくなり、和やかな雰囲気で
診療ができるために
診療中に感情の浮き沈みもなく
疲労も少なく
お互いにとっても、また周囲のスタッフにとっても
良い雰囲気で診療ができることは
何より、な状態になりました。

私は、「医者として間違えるのは低級だ」と
思い込んでいました。
間違えたらどうしよう、と外来で常に緊張し、窮屈になり
不安がいつも横にありました。

が、「医者だって、間違えることがある」ということを
自分の中に取り込みました。
その結果、私は心の中が大きくなり、
リラックスして診療ができるようになりました。

間違えることもある。
正しくないこともある。

これは、今では人として当然のこと、として
心に留めていることです。
間違えることもある、正しくないこともある、から
謙虚でいられるし
学びを怠らない、相手を見くびらない
わからない時には、すぐ調べる、というような態度で
いることができます。

 

このようにして、
もし、自分が避けたい領域がある、と意識することができたのなら
その苦手な領域を
自分の中に取り込むようにしていくのです。

最初は、抵抗がある、と思います。
だって、これまで長年、
「それは低級である」
「それは汚いことである」
「それは卑劣なことである」と
認識し、自分が避けてきた領域なのですから。

でも、その避けてきた領域を自分の中に取り込むことができた時
自分が拡張します。

「Aであることもよし、Aでないこともよし」

両方ともが選べ、
自分のその時と場合によって
「Aの領域の濃さ、程度、密度、強さ」を
自分で選択することができます。

そうすれば、窮屈さもなく、不安もなく
「Aの中のどの程度に自分は今、位置するべきか?」を
考えて、選ぶことができるのです。

選ぶことができる、と分かっていれば
人は窮屈さを感じることはなくなります。

自分の中に、苦手なものを取り込んでしまう。

これは生きていく上で
とても大事な手段だ、と思います。

 

人間関係でも応用できる

 

私の新刊「心の冷えとり」

にも書いたのですが、

苦手だな、と思う人の中には
本当は自分がその要素を取り入れることによって
自分自身が、今よりずっと楽になるヒントが
隠されているのです。

もし、自分がいつも気になっている人がいる時に
相手のことを
「ずるいな」
と思うのなら、
「一体、自分は相手のどこをずるいな、と感じているのか?」を
解析してみることです。

自分がずるい、と思う相手の領域というのは
自分にはない要素なのです。

自分にとっては、そのずるさは
低級であり、汚さであり、卑劣だから、です。

けれども、その低級で、汚くて、卑劣な
相手のずるい部分を
自分自身の中に取り込むことが少しでもできた時
自分自身が拡張し、生きやすくなることに
気がつくはずです。

詳しくは

この本にたくさん、書きましたので
お読みください。
苦手な人を通り越して、嫌いな人との対峙の仕方についても
書いています。

 

今日は、心が窮屈さを感じる時に
一体、どうしたら窮屈さから抜け出せるのか?を
書きました。

人間関係でも応用可能ですし、
生きていく上で

「Aであることもよし、Aでないこともよし」

これができるようになると
本当に楽になり、結果自分が良い振る舞いをして
周囲にも自分にも、良い結果が訪れます。

どうぞ、お試しください。



*************************
内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

女医とも子物語

1 個のコメント

  • 納得します。いくつになっても未知の領域はありますね。
    人間関係、言葉の使い方、受け止め方次第ですね
    ためこむといけないですね

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です