嫌なことからは逃げてもいい

「嫌なことをムリしてやる必要ない」と
私は思っていますし、そうしています。

メルマガでそんな音声を配信したところ、
子育て中のお母さんから 
このようなお便りをいただきました。 

私は、子育ての中で嫌なことから逃げない‼️と、いう
子育てをしてきましたし、現在進行形です。
宿題、嫌だな…ダラダラ後回し後回しダラダラ〜

嫌なことから逃げない‼️と、毎日のように言っています。
嫌なことから逃げようとする子どもにお説教までしてしまう

嫌なことから直ぐに逃げるから
踏ん張りたいときも踏ん張れなくなるんだよ!
日々嫌なことから逃げないでやってたら、
一番頑張りたい時にその力はついてるから、
嫌なことから逃げないで頑張ってやってごらんが、口癖です。

だから、逃げるが勝ちを読んだ時は、
子どもは上手に逃げてるのに、それは、駄目って言ってるのかな?と、

これと逃げるが勝ちのお話は別のことなのかな?と、
わからくなったりしてます。

 

このお母さんがおっしゃること、も最もな気がします。 
「宿題(嫌なこと、やるべきこと)をまずやってからじゃないと、
遊べない(したいことができない)」ルールの子どもは 
我が子の同級生にも、普通にいます。

でも、わたしは少し違った意見を持っています。 
今日は、そのこと、について、書いてみます。

 

ご褒美のために頑張る

 

大人の雑誌などでもよくある「今日は特別自分にご褒美」という見出し。 
これも、普段は嫌なことも我慢してやること、に意味があり、
嫌なことを我慢してやった結果、
「ほら、ご褒美を自分にあげて、また、頑張って!」と
ご褒美をもらったからまた、次のご褒美までは
嫌なことを我慢してやろう!と頑張る。

そういうことですね?

だって、みんな嫌なこと、我慢してるし、
大人ってそういうものでしょう?

本当にそうなのかな?と私はある時から考えるようになりました。

 

そういう私も、ロボットのように考えることをせずに
毎日、我慢して、嫌なことを続けることで、いつか何か
良くなるはずだ、と信じて、耐えてきた部類でした。

度々起こる、
「自分にご褒美くらいあげたっていいじゃない!」という発作。
あるいは、
「もう!なんでわたしばっかり、こんなに大変なの!」という発作。

 

そして、発作が収まると、また、同じように
「嫌なことを我慢して日々を送る」
「いつかの楽しみのために」

でも、「いいこと、がいつやってくるのか?は
今、嫌なことを我慢してやってる人には
わからないんじゃないか?」という仮説をあるとき思いついたのです。

それは、なぜ、思いついたのか?というと
私はたくさんの終末期の患者さんに関わってきたからです。

 

「嫌なことを我慢してやってきたのに、なんで、わたしが?!」
何人もの亡くなる患者さんの口から出てきたことばです。
わたしは、それに対して、なんと返答したらいいのか、
本当に悩みました。

現に、わたしもその時
「日々我慢して、嫌なことも耐えてやっていたから」です。
いったい、わたしは、じゃあ、どうなっていくのかな?と考えました。

結果、嫌なことを耐えてしていること、で
いつになったら、楽になったり、楽しくなったり、
よろこべたり、しあわせだ、と思えたりするのか?なんて
わからないのではないか?

そのように考えるようになりました。

けれども、一方で
子どもには「まずは我慢も必要だ」と言う風な考え方を押し付けている
わたしもいました。

だって、自分がそうやって我慢して嫌なことから逃げずに
やってきたのだから。
それだけの理由で。
みんなも、そうやってるんだし。

 

 

私の浪人時代

 

嫌なこと、の最たるものが「勉強」ではないでしょうか?
「勉強しないと、ろくな大人にならないよ」というのは
多くのひとが持っている、社会的な通念のようなものではないかと思います。

じゃあ、わたしはどうだったか?

私は、4歳くらいからピアノを習わされていました。
毎日、ピアノをやってから、でないと遊べない。
練習せずに遊んでいると、注意される。
一日お稽古をさぼると、2日後退する、と常に言われていました。
「音大に入るのがいい」と勧められてきました。

でも、私がその「嫌なお稽古を先にすること」でどうなったか?というと
「ピアノが嫌いになった」だけでした。

もちろん、お稽古をしているので、指は動くし
難しい曲も弾けるようになりました。
でも、ピアノも、音楽も嫌いになりました。
高校には音楽コースもありましたが、私はそれを避けました。
絶対やだ、と思いました。

それで、私はかねてから「医者になりたい」と思っていたので
理系コースを選んだのです。
でも、私は勉強ができませんでした。
これは本当です。

両親も「勉強をしなさい」と一度も言いませんでした。

「もとの頭が良いから、そういうことを言うんだ」と言われます。
でも、私は、内申点が悪くて、医学部はムリだ、と
担任の先生にも太鼓判をいただくほど、
勉強が嫌いで、やっていませんでした。

だから、現役で10個近く受けた医学部はすべて落ちました。

それから、一年間、大嫌いで後回しにしていた勉強に
始めて「医学部に受かるため」に自分から取り組んだのです。
「もう、逃げてもムダだし、合格するためだ」と自分で思ったから、一年間、
本当に勉強だけ、していました。
そして、晴れて医学部に入学することができたのです。

ピアノと受験勉強の経験からわかるように
嫌になるほど押し付けられたことからは逃げて
押し付けられてなかったけど、自分でいやで避けていたことも
必要に駆られると人はやる
ということが私の経験からわかったことです。

嫌なことから逃げていても
人は必要になれば、それをやるのです。

 

嫌なことを続けているとどうなるのか?

 

さて、話を戻して、子ども時代から私は
嫌なことを我慢して先にやり続けて大人になりました。
いつか、どこかの楽しみのために頑張ってました。

でも、
いつになったら自分のやりたいこと、ができるんだろう?
いつになったら、嫌なことで踏ん張るんじゃなくて
やりたいこと、で踏ん張れるんだろう?
いったい、いつになったら、「こうなりたい!」
「こんな未来を目指したい!」に向けて
自分の足で立てるんだろう?

日々、嫌なことを先にやるクセがついていると、
「自分のこと」なんて後回しになるのが大人です。

ずっと、ずっと、「嫌なことをがんばったら良いことあるよ」をしていると
「わたし、これやってみたい」なんていう好奇心は消えてなくなっていました。

ですから「じゃあ、何したいの?」って聞かれても

「え?!したいこと……。わかんない」
こうでした。
だから、私は「嫌なことをする」ことをやめたのです。

 

嫌だと思うことから逃げたらどうなったか?

 

したくないこと、嫌だと思うことから逃げること。
多くの人からみると「大人げない」「自分勝手」みたいに
思われました。
そりゃ、そうですよね。

「嫌なことから逃げたらいけない」ひとからみたら
「嫌なことから、何逃げてるの!?」ってなりますね。

でも、私は嫌なことをするのをやめたのです。
自分の人生、それで間違ったとしても
自分の尻拭いは自分ですればいいのでしょう、と
覚悟を決めたのです。

そうすると、どうなったのか?というと、まず、子どもに対して
「嫌なことを我慢しないと、後が大変だよ」と思わなくなりました。

子どもが一番、わかってるな、と思いました。
今、やりたいことを夢中でする、ことが
どんどん、数珠つなぎになっていくこと、もわかってきました。

現に、冷静に自分の半生をみてみたら、そうだったし、
嫌なことを我慢していても、
そのまま病気になって後悔するひともたくさん診てきたのです。
それなら、嫌なことを我慢してやることない。

 

そして、仕事についても考え方が変わりました。
「稼ぐためには仕方ない」と患者さんをみて、薬を出す、
どこかで何かこれだけではいけないのに、でもしょうがないよね、
これが日本の医療だし、と思っていた診療行為が
まったく意味合いが変わりました。

かねてから探求したかった心と身体、魂のつながり、を
意識した診療を、するようになりました。

嫌なことを我慢してやる、の中には
「稼ぐためには仕方がないから、通常通りの診療をする」が入っていたのでしょう。

それが今は、
「自分が思うことをきちんと伝える診療をしよう」と決めて診療をするようになり、
患者さんに向き合う姿勢が変わりました。

 

それは、わたしにとって、とても大きな変化でした。
目の前にどんな方が座るのか?と前向きに自然体で
診療室の椅子に座るようになりました。
それまではなるべく「ラクな人がいい」「簡単にわかる人がいい」
「気を遣わずに話せる人がいい」など
完全に防衛姿勢でガチガチに椅子に座って臨んでいたのですから。

前向きなオープンな心で患者さんとやり取りすることができ
さらにお金まで給料としていただけるなんて!
という
そんな感覚で、取り組んでいます。

大きな違いです。

 

嫌なことを我慢して本当にご褒美が待っているのか?

 

嫌なことを我慢してし続けることで、もう一つ懸念することがあります。

じゃあ、嫌なことをしていて、去年より今、報われていますか?
思い通りになっていますか?
さらに報われたらいい、と思っているのは何才頃になった時ですか?

未来の報いを期待して
我慢し続けてやってきた人の未来に報いがなかった時。

嫌なことを我慢して耐えてきた人にはもう、余力があまり残ってない。
いまさら、じゃあ、肩書き変えて
自分がしたい何かするか?というと、それももう、体力気力が残ってない。

そうなったとき
他人のせいにする」「社会のせいにする」
「政治家のせいにする」
「環境のせいにする」
自分は被害者だ、という意識を持ってしまう懸念があります。

人が一度被害者になってしまうと
「〇〇のせいで、自分はこうなっちゃってるんだ!」という憤りだけで
相変わらず耐えて、我慢して生きていくしかなくなるのです。

自分が変わろう、違うことをやろう、考えを変えようではなく、

「嫌なことをさせられてるのは○○のせい」
という風にしておけば、文句を言いながら自分がする行為は
変えずにすみます。

人はやることを変える、環境を変える、人間関係を変える、
変える、変わるということが一番怖いことです。
それは生命維持装置は、現状維持が第一なので
変化することは生命のリスクだ、と認識するからです。
変化が苦手なのは、性格が悪いとか、意思が弱いからではなく
人の本能です。

けれども人が被害者になってしまうと
しあわせから遠のいてしまうし、心穏やかに暮らすことからは
どんどん、遠のいてしまいます。

ですから、被害者にならないためにも
私は嫌なことからは逃げてもいいから
自分の責任で、自分の足で立って
好きなことをやればいい。

そう思うし、自分もそうしています。

好きなこと、嫌いなこと、何をしても、困難や、壁は出てくるし、
失敗も、他人からの批判も出るかもしれません。
でも、「好きでやってること」で嫌なことが出てきてもそこで踏ん張れるのです。

最初から嫌なことを我慢してやっていたら
困難や、壁は出てきたら逃げたいし、失敗もしたくない、
他人からの批判は受けたくないので、
自分を投げ打ってまで頑張ったり、突き進むことは
難しいでしょう。
自己防衛することが精一杯になります。
そのように行為を続けたとしても、継続から得られる結果が
どのようなものなのか?は想像がつきますね。

まとめると

 

「嫌なことから逃げてもいいのか?」というのは
私はいい、と思って今、自分自身で実体験して試しています。

人生をかけた実験です。
「やらなければならないことなんて一つもない」
にも書きましたが、「こうしなければいけない」ものなどないのです。

それでも、「いや、嫌なことをやってるから自分があるんだ!」と思えば
それを続けていいし、そうやって生きることを選べばいいだけです。

自分の人生の答えは、誰も教えてくれないし、
自分で考えて、これは良さそうだな、と思ったら
試してみたらいいし、試して違ったらまた、違うことを試せばいいですね。

自分が死ぬときになって「あ〜、よかったよ」と言えることが
私の目標で、それだけがゴール。
行き方、生き方は、オリジナルがいいですね。
自分の体験、経験を振り返ってみて、模索してみる、
そこから学ぶのが、一番、良い方法だと思います。

 



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