死にそうにもう、嫌だなと思ったときに見えてきたもの

生きていたら、誰でもあるのが
「もう、いいや、どうにでもなればいい」

そういう気持ちになることだと思います。

誰にでもあることだ、と思います。

今、私はそのような完全に空気が抜けきった状態になったのですが
その状態になってみて

日々の習慣が、私を支えてくれてるんだな
私の軸って、こういうことか。

そのような発見が新たにありましたので
もう、寝てしまって何もかもなくなればいい、と
思いながらも

将来、子供達が同じような気持ちになったとき
これを読めばいい、と思って

必死に今日は書きます。

 

もう、嫌だよ。

 

生きていたら誰でも、いろんな程度で
「もう、嫌だよ」と思うことはあるでしょう。

それは当たり前のことであって
そこを「どうするか?」が生きることなのだ、と
自分で言い聞かせてきました。

夫婦関係で悩み尽くしているときに
思ったことが

「神様のテスト」という話です。

http://comuron001.xsrv.jp/God%27s%20test.pdf

良かったら、読んでみてください。

この話では、
神様は私に必要なテストを、
私がちゃんと答えを提出するまで
出してくる。

答えをごまかしたり、
間違えた答えを出したり
あるいは、テストが出されていることに気がつかないと

ますます、問題はあからさまにわかりやすい
つまり、ひどい問題として
露呈してくる。

だからこそ、
困難が生じたときは
「神様からのテストだ」と思って

自暴自棄になったり、人のせい、世の中のせいに
するのではなく、

自分のどこを「訂正すべし」と神様から
言われているのか?

素直に振り返ってみると
二度と、同じ問題は出てきませんよ。

そんなお話を
「神様のテスト」には書いています。

 

けど、今回、私は
もう、今後このような落ち込みはないだろうと

自分を過信していたところ
降って湧いたようなことによって

墜落したのでした。

 

「神様、私は、もう、あなたのテストに答えるのは
疲れました」

私は、心からそう思って
目を閉じました。

 

空気が抜けた私の中に残ったもの

 

清々しいほどの、虚無感であって
「ああ、もういいや」
「私、いつ死んでももう、オッケーだ」

日々、やり切っている私だから

そんな風に、マンションのベランダで洗濯物を
取り込むふりして
思ったのでした。

「私には、もう、無理だな」
「無駄だ」
「意味ない」

そんな風に思って、空を眺めていました。

 

住んでいるマンションは山の中腹にあります。

坂道を、おばあさんが登ってきました。
おばあさんは、同じマンションに一人で住んでいる
おそらく90歳は超えている方です。

毎日、同じ時間、どんなに暑かろうと
雨が降ろうと、寒かろうと

杖をついて、必ず、
マンションの坂を下り、そしてまた登ってきます。

同じマンションの住人には
必ず、朗らかに挨拶をします。

あの、おばあさんが夏の夕暮れに
下から、ゆっくりと、ゆっくりと
休みながら登ってきました。

私は、
衝撃を受けました。

 

「ああ、習慣が私を助けてくれる」

そう、思ったのです。

 

そういえば、私の父も同じだ。
父は、いろんな病気をしながらも
80歳を超えた今も、現役で毎日外来に出ています。

父も、毎朝50年以上、歩いています。
父にも習慣があったのです。

 

私には子供が3人いて
何があっても子どもには美味しいご飯を
変わらずに、食べさせてきました。

私が食事が喉を通らない日々にも
子どもには美味しいご飯を
作り続けてきた過去があります。

私は、おばあさんを見送りながら
「90歳超えたおばあさんが
あのようにして、自分を律しているのだから」

空気が抜けた状態で、昨夜も完璧に美味しい
焼き魚定食の夕ご飯を
子どもたちに、食べさせました。

そのあと、夜間診療のバイトがありました。

「こんな状態で、仕事になるのか」と
少し、不安に思いましたが

白衣を着て、患者さんを目の前にしたら
空気が抜けた状態でも

私は、冷静に、きちんと
いつもどおりに

診療することができていました。

 

習慣が、私を助けてくれました。

 

習慣というもの

 

日々の衣食住が大事だ、というのは
私は、健康的に豊かに、幸せを味わいながら
暮らすには

衣食住が大事だ、と
常々、思い、自分でも大事にしてきました。

 

なるべく自炊。
台所を使い終わったら、綺麗に水場も整える。
食べ物を余らせない。
不要なもので溢れさせない。
整理整頓。
診察では人によって態度を変えない。
診療では奢りなく、ベストを常に尽くす。
謙虚な姿勢を忘れない。
嘘をつかない。
素直でいること。

いろんな習慣が、それぞれの人にはあると思います。

日々、繰り返し行う、とても地味なこれらの習慣。
決まり切った、この習慣。
普段は、「めんどくさいな」と思うことも多々あるこの習慣。

これらが、
自分が自暴自棄になろうとしたときに

グッとそれを止めてくれる役割を
果たすのだ、ということを

私は今、身をもって体験しています。

 

「もう嫌だ」
「いなくなりたい」
「全部、やめたい」

そう思ったとしても
時間になると、勝手に習慣化した作業を
しているのです。

 

習慣化した作業をしていると
自分は無になり、
作業によって、いろんなものが形になっていく。

結果、私は生きてるのだ、と感じることができるのです。

 

普段は、面倒に思えるようなこれらの作業によって
私は形作られていたのだ。

私は、そう、思いました。

そして、我の習慣こそが
「私の軸なんだ」

それに気がついたのです。

 

自分軸は特別な能力のことではない

 

巷では自分探しが流行していて
あちこちのセミナーで、自分探しをしよう!と

呼びかけていますね。
自己啓発本が流行っているのも

自己啓発して自分軸をしっかりと、持ちたい。

そういう気持ちの人が多いから、なのでしょう。

 

けれども、一方で
「自分軸がないんです」
「ブレブレで、自分軸って何ですか?」

そうやって、煽られるだけ煽られて
「私には自分軸を持てる特別な才能がない」

と、卑下する。

また、新しいセミナーに参加する。

繰り返し、間違えたことを続けて
結局、迷子になったまま

とっ散らかった家に帰り
ため息をつき
買ってきた惣菜か何かを適当に食べ
ネットサーフィンして
自称 キラキラ系、意識高い系の人々の発信を
横目で眺め

今日も終わるのです。

 

自分軸っていうのは
特別な人と違う能力のことではない。

日々の繰り返される自分の習慣のことだ。

私は、
明るい絶望の中で
それを確信しました。

 

空気が抜けきった私の中に確実に残り
勝手に動いているのは

日々、私が積み重ねてきた習慣であり
それがグイっと私を立てています。

生かしています。

 

今日も一日中、外来に出ていましたが
普段と私が違う、とは
誰一人、気がついていなかったはずです。

それほどに
日々、自分が意識して積み重ねてきた習慣は

私がどうなろうとも

壊れることがありません。

 

何が目的で生きてるのか?
何の意味があって生きているのか?
何が楽しくて、やっているのか?

一体、私は何をしたいのか?

そんなことが全てわからなくなることがあります。

けれども
そんなとき、自分を支えてくれるのは

習慣です。

 

習慣がない人は自暴自棄になったら
そのまま、底なしに落ちるところまで簡単に落ちるでしょう。

そして、落ちたところから這い上がることは
とても困難でしょう。

けれども、
日々、自分を律して習慣化したことがある人は

自暴自棄になっても
落ちるところ、がゼロ以下にならない。

落ちても、足が底についてしまう。
なので、また、そこから日々の習慣を繰り返しているうちに
どうしたって

また、生きよう。

そう、思えてしまうのではないだろうか?と
私は思っています。

 

私は、半年ほど前、
自分が開催したセミナーで

「自分軸なんて別に探さなくてもいい」
「自分軸は、今、自分がやったらいけない、って思うことまで

360度、体験してみたところで
結果、何となくぼんやりと見えてくる程度のものだと思う」

そう、話しました。

つまり、今までやったことない未知のことまで
固定観念を外して、色々とやってみろ、と。

色々、やってみた結果
自分軸は浮かび上がってくるのだ、と。

でも、それは違う、とわかりました。

 

自分軸は
超、地味な日々の繰り返される習慣の中にある

自分が完全に空気が抜けても
なおまだ、そこに残っているものなのだ。

私は、そう、思いました。

 

昨日の夕方、
勇姿を見せてくださったおばあさんに
心から感謝しています。

あの姿を見たから私は
自分の習慣をきちんと今日も
やり遂げることができました。

生きるのは、そういうことだ、と
思いました。

特別な意味など特になくてもいい。
ただ、やるべきことをやるだけ。
決めたことを、やるだけ。
それでいいのだ、と。

今日はここまでにしておきます。

いつか、これが子供達のなにがしかの役に
立ちますように。

そして、このブログに書き残す、という作業も
私にとっては「思っていることを吐き出す」ための
大事な習慣なのだ、と思います。

 



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まずは自分を振り返る。
これまで見て見ぬ振りをしてきた自分を慈しむためのメルマガです。

4 件のコメント

  • 朋子さん
    お久しぶりです。
    岡山の藤原です。
    なんか、嬉しいようなもどかしいような
    気分で読み返しました。

    発信していた言葉。思い。
    間違ってたと潔く言えるかっこよさ‼️
    素敵です。

    人間は日々 前進していて 成長しているのですね。

    実は先月
    リュウマチ性多発筋痛症

    脱ストロイドへ 着地しました。

    この一年ニカ月は長かった。

    病は気から

    それを身を持って体験しました。

    色んな体験を私なり解釈し
    それこそ、こうだ!ああだ!
    その時、その時 納得し実践して 日にちが経てば
    やっぱりこうだった!
    みたいな(笑)
    でも、それか生きるって事。
    毎日が変化しているのは自信が成長しているって事。今ではそう思えます。

    だから、なんか たまたま見た朋子さんの記事が
    嬉しかった。

    突然で失礼しました。

    • 藤原さん

      ご無沙汰しています。
      お元気になられて、本当に良かったです。

      「毎日が変化しているのは自信が成長しているって事。今ではそう思えます。」
      ここまでご自身で努力を続けてこられたこと、
      素晴らしいことだ、と思います。

      肩に力を入れそうになったら、私のことを思い出してくださいね。

  • 課題を伸ばし騙し、早20年。。。
    辛い、辛いと言ってると「辛くて当たり前!」と昭和を生き抜いたおばちゃんの一言。
    障害者の兄を見て、私は幸せだ。と言い聞かせてきたけどそうじゃなかった。。。
    ごまかして、身内の為に生きてきた結果。壊れた!そして、50歳。
    これからの人生を楽しもう。と思ってももう時期を過ぎた物が沢山あり過ぎて。。。
    これからは、自分を一番に考えて「幸せだなー✨」て思える日々を過ごしたい。
    しかし、今までの我慢の生き方、そう簡単には変えられない。不安がよぎる。。。
    でも、その時「自分は悪くない。正直に生きてきた。」と言い聞かせる。
    思いっきり泣ける日が来たら、その時が人生やり直せる時なのかな〜。と
    まだまだ、背負って生きていく。
    結果、自分次第。考え方、受け止め方。
    どうにかなるさー。ここ。こう言う生き方。実は助けられる一番の近道なのかも。
    一度、未来に行って確認できるのならいいのにね。とつくずく思う今日この頃です。
    きっと、自分はこのままかも。

    • 正しい、間違え、の物差しで見ると
      進みたい方向に進むことがいけないこと、のように思われますね。

      でも、世の中に100%正しいことなんてない、と私は思います。
      自分がどんなに気をつけていても、誰かにとっては正しくないことを言ったり、したりしてるのだな、と
      いつも思います。

      だからこそ、どこに物差しを置くか?を
      自分が考えていくことが、大事なのだな、と思います。

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