言葉以外でつながる

私が言葉を介さないでつながりやすいのは

小さな子供
動物
認知症のお年寄り
外国の患者さん
難聴や聾唖の方

といった方々と、です。

何でつながるのか?
今日、外来であった2つの出来事を例に
あげてみます。

 

難聴や聾唖の方との会話

 

難聴や聾唖の方とも手話などの通訳なくても
大まかなことは話せます。
むしろ、通訳が間に入ると
ダイレクトに行かないので

むしろ、患者さんも私も消化不足になります。

ただ、普段と違う隊長の変化や
特に伝えたいこと、があるときには

筆談を使ったりするくらい、です。

あとは、大きく口を動かしながら
目を見て、話していれば
相手も私がいっていることをわかって
ジェスチャーを交えて返答もするし

私も相手が言いたいことは言えてて
必要な処方や、診察ができていることが
わかります。

大事なことは、お互いに疑い合うことなく
信頼し合えているか?です。

初めてその方に会った時から
不安に思わないこと、です。

こちらがまず、心を大きく開いて
相手が言いたいことを、私は理解する意思を持っている、
ということが伝わるように
きちんと向き合います。

そうすれば、相手は安心して
恥ずかしがったり、疑ったりせずに
自分が伝えたいことは伝えてきますし
遠慮したり、怒ったり、によって
消化不良で会話が終わることはありません。

 

認知症の方でもそうです。
「どうせわかってないだろう」という
介護者や医療者にこの気持ちがあれば

認知症の方も「またいつものことだ」と
何かをこちらへ伝えようとする意思を持つことなく
閉ざしたまま、です。

攻撃的になる方もいますが
それもまた、「どうせわかってくれないんだから」という
慢性的な怒りの表れだ、と
私は思っています。

ですから、認知症の方でも
きちんと認知症ではない方と同じ扱いをし
名前をきちんと呼び、
傾眠傾向にあっても
介護者や、付き添いに問診をするのではなく
まずは患者さんに、問診をする、のです。

そうすると、認知症の患者さんでも
「あ、この人なら伝えられるのかもしれない」と
長い間閉ざされたコミュニケーション能力のセンサーが
開くのだ、と私は見ていて思います。

そして、安心感はやはり、大事なことです。
途中で投げ出さずに、決めつけず
最後まで聞く姿勢を持つこと、が
どんなコミュニケーションにおいても共通して
大事なことだ、と思います。

 

子供とのコミュニケーションでは、親が
子供の会話を途中で遮り
「静かにしなさい!」とか「うるさい!」とか
全く子供の話を聞いてないケースも
よく、外で見かけますが
これは信頼関係を、どんどん破壊する行為だな、と

子供を育てているのか、どうしたいのか、
全く理解できないな、と思って見ています。

 

外国の方との会話

 

私は日本語以外、話せません。
英語アレルギー、外国語アレルギーで、
以前はコンプレックスをかなり持っていました。

日本人以外の名前の患者さんのカルテがくると
もう、緊張して、
「誰か、通訳ついてるの?」とかスタッフに聞いたりして
最初から、もう、無理、わからない、
どうしよう、という不安でいっぱいでした。

今は、違います。
私は、日本語でしか話しませんが
やり取りは成り立ちます。

大事なことは、言葉ではないのだ、と
私は今日も改めて思いました。

 

50歳代の十年以上も前に日本人男性と結婚した
外国の女性でした。

日本語も話せます。が、
母国語と比べたら全然話せません。

右手が二年前から、何もしてない時に
震えっぱなしになり、
大学病院や、神経内科で精密検査をして
安定剤などの薬も「これくらいしか治療もない」と言われて

飲んでみているけど、一向に良くならないばかりか
最近は震えが右足まで広がってきているようだ、と
旦那さんと一緒に来ました。

安定剤は飲むと自分の体じゃ無くなるような感じになり
もう、飲みたくない、と。

50歳代には見えない、可愛らしい一見すると元気そうに
見える方です。

けれども、話を聞きながら、体を見ていて
私には、言葉で説明していることとは違うことが
伝わって来ました。

 

「我慢してる」

そりゃ、そうだよな、と思って、私はこのように
彼女の目を見て話しました。

「元気の、気、はわかりますか?
日本に来て、言葉も全部は伝わらないし
自分が言いたいことも、言えないでしょう?
我慢してますよね?

頑張らないと、日本にいたらいけない、と
思ってるから
何かしてなきゃ、いけない、って
毎日、頑張ってますね?

そのせいで、気、が下から上がって
肩のあたりで溜まって、
それが悪さをしているのだ、と
私は考えますよ。」と。

彼女の目は驚きの眼差しに変わった後
一気に涙がたまり
泣き始めました。

これは、その人自身の心に触れた瞬間です。

 

体に何らかの症状が出ている時には
言葉というのは、本当のことを示すには足りておらず
言葉にできてない部分に
本当の答えがある、
今までの、経験から私は信じています。

彼女は、すでに二年も前から手が勝手に
震えていました。

彼女や旦那さんは言葉で一生懸命
経過は説明してくれますが
原因については、わからないから
治らないし

原因については、言葉で言ってないところにあるのです。

言葉にできる、というのは
自分が想像できていたり
自分が思考できていたり
身近な人が観察してわかること

だったり、です。

原因を、理由を、悩みを、苦しみを
言葉にできてたら、体の症状だって
改善していくはずです。

外国の人、だからと言って
言葉で全てわかろうとせずに
全身を使って理解しようとすれば
関係なく、心と体から訴えて来ているのが
私にはわかります。

彼女には、全身を使って、答えました。

そして、彼女は心を開いて
理解をし

漢方の処方とともに
生活指導をして

「早く治さないと、と思わずに
自然に治るから、まずは大丈夫だから」

通院をしてくるように、話しました。

安心した表情をしたご夫婦を見ていて
きっと、必ず、良くなる、と
投げ出さずに、治るように導いていかないといけないな、と
思いました。

 

言葉が要らない人

 

人は自分の言葉や、会話に頼りすぎなのかもしれないな、と
私は自分が文章で発信していて
思います。

また、表面的な会話をする医師と患者さんの
やり取りを聞いていても
言葉に依存しているから
そうなるのだろうな、と思います。

言葉が全て、でしょうか?

 

言葉をまくし立てる人ほど、自信がないのだろうな、と思うし
難しい言葉を使う人ほど、ごまかしてるんだろうな、と思います。

言葉じゃないところに
その人の本質が現れます。

言葉の裏を読む、のではなく
その人の生きてきた背景を、そして
体や心が訴えていることを感じ取るのです。

よって、思いやりもなくなった夫婦ですと
「だって、そんなこと言ってないじゃん!
話してくれないとわからないよ」と
喧嘩になったりしますが
言葉にできてたら、問題は起こらないのです。

すでに問題になっている場合には
言葉にできなくなっているから、問題になっているのです。

子供と親も同じで、
子供にやたらと、説明を求める親がいますが
言葉にして説明ができていたら、
子供は悩みません。

言葉にできないから、悩んでいるのです。
それを、親が納得する答えを欲しいあまりに
子供に問い詰めることにより、子供は精神的にも
追い詰められるのです。

言葉にできない部分を、思いやって
感じ取ろうとする姿勢があるかどうか?が
大事なこと、であって

答えあわせをして、間違えててもいいから
相手が真摯に自分のことを理解しよう、と
全身を使って、こちらに向き合ってくれている、という
それ、全体が相手の人の心を開き
良い方向へ向かうきっかけになるのです。

患者さんであれば、
患者さんが素直になり、心を開くことで
治癒に向かうスイッチがオンになる、と
私は考えて、外来に出ています。

このようにして、コミュニケーションは
言葉を通じなくても、可能ですし
むしろ、言葉は人を限定する、と思います。

言葉を信じるがあまり
相手のことも、自分のことも
思い込み、偏見、決めつけを持って
見るようになるのではありませんか?

よって、私は言葉を信用しきっていません。
言いたいことは、他にあるんだろうな、という
「優しい気持ち」で相手の話を聞いています。
それは決して「あばいてやろう」という
意地悪だったり、自分の能力を見せつけたい、がために
することでは、ありません。

 

言葉も、何も通じない人は
心を閉ざした、素直でない人、です。

話す言葉も適当なら
思っていることも、本心ではない人とは
いくら言葉を交わしても、通じ合うことは
一生、ありません。

それは、仕方のないこと、です。

心を開くつもりのある、人とは
こちらが大きく心を開いて

全身で相手のことをわかろう、理解しよう
見よう、とすれば
相手の言葉から、ではないところから
答えは、きちんと感知できるのです。

誰でも、人は、そのような能力を持っています。
ただし、しつこいようですが
素直に心を開いている人なら、です。

自分(自我、私というもの)が一回、でも二回でも、死んでる人は
「自分を守ろう」
「自分を保とう」という
そのようなプライドはありません。

よって、相手のために
心を開き、全力で向き合うことができるのです。

自分、なんて
別に、どんな形だろうと、確定してなくたっていいじゃないか、
と、私は常にこだわりがありません。

大事なことは
今、できることを、やること、だけなのですから。



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