自信などなくても大丈夫

自信がないと、何もできないんじゃないか。
自信がつかないと、何も始められないんじゃないか。

そうでしょうか?

私には、自信がありません。
が、それでもいい、と心から思っています。

 

自信がないのはダメなことなのか?

 

私は人様から「お医者さんなんてすごいね」と言われることもありますが
「すごいね」と言われても、自信がありません。

人と比較して得られるのが自信でもなければ
過去にやってきたことの裏付けが自信になるわけでもない、と
私は思っています。

私には、全く自信がありません。

ある、女医の大先輩からもこのように
認定されました。w

「あなた、自信が全くないわね!
鬱かと思ったわ!」と。

そう言われて、やっぱり私は、見る人から見たら
自信がないように、見えているんだな、と
思いました。

少し、落ち込みました。

自信はつけないといけないものなのかな?と
少し、悲しくなりました。

自信はどうやったらつくのか?
確か、前に記事も書いていたように思いました。

自信をつける方法を、書いた気がしましたが、
私自身に、自信はまだなかったんだ、と
最近また、知りました。

でも、自信がないことはダメなことなのでしょうか?

自信家になることは
人生で成功するために?
人生をよりよくするために?
必死なことなのでしょうか?

私には、よく、わかりません。

 

自信はどこからくるものか?

 

私が考えている自信とは
何ができる、何をやってきた、
人と比較して、優れている、
そういった過去や他人との比較で
得られるものは、自信ではないように思います。

自信とは、
自分は何があっても大丈夫だ、と
くつろげること、なのかな、と
私自身は思っていますし
そのような自信なら、私にもあるのです。

大先輩から言われた「あなた自信が全くないわね!」というのは
おそらく、
狭い世の中しか見てきてないために生じている
世間知らず、な部分を
ご指摘いただいたのかもな、と思います。

私には、確かに狭い世界しか見て来なかった、という
コンプレックスがあります。

誰かといた時に、私はこんなことができる、
こういうことをしてきました、というアピールができないことが
自信がないこと、なのなら、
私は、自信がずっとなくてもいい、と
思っています。

過去の自分がしてきたことなんて、
あまり重きを置く理由がありません。

確かに、コツコツやってきたことは
大事なことかもしれませんが、

だからと言って、
コツコツやってきたことの上に乗れば自信がつく、
わけでもないのです。

大事なことは
今、ここから未来に向けて、
どのように歩いて行くか?

今、ここから未来に向けて
目の前の状況は、目の前の人は
どうしたら良い方向へ行くのか?
考えて行動することが
大事なことだ、と思います。

そこに、自信が必要なのか?というと
私はむしろ
「自信がないから、一生懸命考えるのだ」し
「自信がないから、歩みを止めずに試行錯誤している」
のだrと
思っています。

自信たっぷりだったら
「どうせ、〜だろう」
「これまでの経験から、〜だろう」
「ああ、知ってる知ってる、〜でしょ?」
と、それまでの自分の経験を過信しすぎて
状況や、相手のことを、決めつけてしまう恐れがある、とも
思っています。

人に決めつけられることほど
苦痛なことは、ありませんね?
人にコントロールされることほど
窮屈な思いをすることはありませんね?

自信家の人というのは
どうも、決めつけたり、コントロールをしたがったり
するケースが多いように見受けられます。

私は、そのようには、なりたくないな、と
思います。

 

頑張って自信をつけなくてもいい

 

大事なことは、
自信がない自分を責めたり
自信がない、といって落ち込んだりするのではなく

「いま、ここから先をどうするか?」を
自信があってもなくても、考えて行動することが
重要なことだ、と思うのです。

 

過去のやってきたこと、とか
過去の成果や結果を
足台にして自信をつけようとすればするほど
足元がおぼつかなくなるでしょう。

なぜなら、過去は過去でしかなく
そこに残っているものを踏みつけたところで
それは大した力にならないからです。

今、この場から新たに歩くことで
着実に小さく一歩を踏み出せるのです。

そこに自信は必要ありません。

過去に自信の元になるものはありません。

自信がなくても、考えて一歩を踏み出すことは
誰にでもできるのです。

 

過去のデータは、過去のものであり
参考になることはあったとしても
それが根拠になることはありません。

変化、変化の連続が生命であり人生であり世の中です。
変化、の中で自信をつけろ、という方が
おごりがあるような気が、私はします。

自信があります、と言い切れない自分の世話をしつつ
それでも歩みを止めないこと。
新しいことも、面白そうだ、と思って
試してみること。
先人の情報、口コミをあてにせず
自分がやってみる、試してみる、そこから自分のデータをとる。
でも、そのデータすら
時が経てば、参考程度にしか、なりません。

そう考えてみると、
難しく考えることもなく
やってみたいな、じゃあ、やってみよう。
自信なんてそこには不要です。

 

自信がないおかげでよかったこと

 

いつまでたっても自信がないおかげで
私は人に対しても、
ない自信をあるように見せて疲れずに済んでいます
逆に、自信がないことを自虐自慢することもせずに済んでいます。

自信があっても、なくても
どっちでもいいじゃないか、ということです。

自分にも、人にもそんなスタンスで
接しています。

おかげで、自信家の人からはたまにいじられたりもして
ビクビク、なることもあるのですが、
逆に、私は人に対して
「自信がなさそうだね」と言わずに済んでいるのですから
それはとてもよかったな、と思います。

自信がどの程度あるのか?という点で
人との比較の列に入らずに済んでいるのは
とても楽です。

もし、自信がないことで、悩んだり
考えすぎてしまっている人は、
私のように
自信はあってもなくてもどっちでもいいんだ、
自信がないから、といってできないことはないんだ、
返って、自信がないからこそ
淡々と繰り返し、試したり、検討したり
決めつけずに、可能性を閉ざすことなく
考えていくこともできるのだ、というメリットもある、ということを
お伝えしたいと思います。



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内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

女医とも子物語

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