不平不満がある時こそチャンス

面白いな、と思ったことがありました。

不平不満がある時、
それは現状を変えるチャンスなのです。 

人にはいろんなタイプがいて

不平不満があっても、
いかにそれが不平不満か?を
プレゼンすることだけに勤しむ人と

不平不満があった時
今、この場から自分から不平不満が少しでも
減る方法を考える人と

2つのタイプに分かれるのだな、ということです。

 

不平不満のプレゼンがうまい人

 

不平不満がある、というので聞いていると
「いかに不平不満か?」を事細かに話してくれるのですが
そこで終わるのです。

「え!?で!?」と、私は思いました。
そこでおしまい!?と。

でも、不平不満があってもそれを自分で改善しようとしない人は
不平不満のプレゼンを、
知人に聞いてもらい、
定期的にガス抜きをすることで
不平不満の状態を維持するのです。

おかしいと思いませんか?

自分で不満があったら
不満がなくなるように、考えて工夫すれば
今と同じまま、ということはないのに

いかに自分が不平不満なのか?を
知人に繰り返し語ったところで
それは何もなりません。

が、本人は、話を聞いてもらえれば
それでいい、ようです。

自分がどんな表情で、それを話しているのか?
日常で、どんなに呼吸が浅くなっているのか?
不満でいっぱいの人の姿勢がどうなっているのか? 

それらを続けることにより
自分の心身を傷め続けている、とは
思いもよらないのでしょう。

不平不満を改善していく人 

 

全てに満足して、満たされていて
何の不満もなく、もうオッケーだとなると
その先は平和すぎて、飽きちゃうかもしれませんね。w

どこかで不平不満があるから、
日々の生活を工夫したり、
人間関係の癖を直そうとしたり、
自分を振り返ったり、して

少しでも不平不満が少なくなるように
創意工夫してくことにより

日々、生活は、より良くなっていくものかな、と
思っています。

だからこそ、不平不満がある、ということは
文句を言ったり、自分が被害者になるのではなく
今より、良くなるためのチャンスでもある、ということです。

不平不満だ!で終わると気がつきませんが、
「不平不満である、じゃあ、どうしようか?」

の部分が大事なのではないでしょうか?

 

話をしてても、「じゃあ、どうしようか?」がない話は
聞いていて、疲れます。

こちらは、便所じゃないんだよ、と思います。
あなたの汚物を垂れ流しておしまいですか?と
言いたくなることがあります。

が、本人は自覚がないので
こちらからも、言う気力すら出てきません。

大きく分けて、2つのタイプの人がいるのだな、と
改めて思ったのでした。



*************************
内科医の私がなぜ、情報発信をしようと思ったのか?
また、私自身が生きづらさからどのように
今、気楽に適当にニコニコと生きるようになったのか?

その過程を書いた記事をこちらで公開しています。

女医とも子物語

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です